夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

心穏やかな極楽世界へ・・・執着の愛と法愛

2018年08月15日 18時07分23秒 | 日記・エッセイ
隣の市に住んでいる末っ子の夫婦が

幼い三人の子を連れて突然やって来て、

元気な姿を見せてくれました。

五才の孫娘が仏壇の木魚を鳴らしている時、

お年玉のように熨斗袋を渡し、

お父さんとお母さんを大切にしてねと言いますと

ニッコリと微笑んでうなずいていました。

今は専用の小さな可愛らしい『盆玉』の袋があるそうです。




執着の愛と法愛

大毘婆沙論(だいびばしゃろん)第二十九 に、

愛にも二種あり、

一に染汚(せんな)愛はいわゆる貪(とん)なりと。

二に不染汚(ふせんな)愛はいわゆる信なり。

愛にして貪(とん)ならざるはすなわちこれ信なりとあります。



貪(むさぼ)らない、私心(わたしごころ)のない愛が『法愛』であり『大慈悲心』なり。




吾々は我と他が分かれていると認識していますが

本来は本々一つであります。

『我』と『他』は一体であると一切を捨て去り、再認識することが『和解』でありであります。

此の和解が『法愛』であります。

有情、非情すべての生きとし生けるもの、有りとし、あらゆるものと和解し、

手を繋ぎ合うことが真実の『愛』であります。

此の『真実の愛』に目覚めると無限がひろがり、

心穏やかな極楽浄土の世界が開けてまいります。