夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

自然について

2013年09月28日 19時04分37秒 | コンコードの哲人 エマソン

 

哲学的に考察すると、宇宙は、自然と魂とからできている。したがって、厳密にいえば、われわれから離れているすべてのもの、哲学が「非 我 ナット・ミ-」として区別するすべてのもの、すなわち、自然と人工、すべての他人、私自身の肉体、これらのものは「自然」という名で呼ばれなければならない。<o:p></o:p>

 

 

 

 

 

 

 

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自然の価値を数えあげ、その総額を計算するさいに、私は、この言葉を両方の意味―普通の意味と哲学的な意味に用いよう。われわれのこの研究のような、一般的なものにおいては、正確性は重要ではない。思想の混乱は、おこらないであろう。<o:p></o:p>

 

 

 

 

 

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「自然」は、普通の意味において、人間によって変えられていない要素のことをいう。空間、空気、河、葉、などである。<o:p></o:p>

 

 

 

 

 

 

 

「人工」は、こういう自然物に人間の意志をまじえたもの、つまり家屋、運河、彫像、絵画などをさす。<o:p></o:p>

 

 

 

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しかし、人間の働きは、すべてを合わせたところで、たかがしれたもので、すこしばかりきざんだり、焼いたり、つぎはぎしたり、洗ったりする程度のものであるから、世界が人間の心に与える雄大な印象においては、人間の働きによって、印象の効果が左右されることはない。<o:p></o:p>

 

 

ラーフ・ウォルドー・エマソン 「自然より」

 

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癒しの世界(浄無垢の世界)

2013年09月28日 10時41分13秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
肉体に病気、穢れ、不安等が現れても心配、悩み恐れる事は不必要である。
それは霊的愈脳(霊的に癒す力)の進行に障礙(さまたげ)となります。
病的現象のみを処置して癒そうとこころみる限り、到底肉体の彼方に存在する心の原因に注意を向けないであろう。
綺麗な心に曇った汚点(心)を取り除こうとはしなでありましょう。
現象に汚点があるのは心に曇りがあるからである
くるいのある状態を肉体に生じたのは、心にくるいがあるからです。
従って肉体を癒すために肉体的憂慮の必要はないのです。
注意を肉体の不完全な状態に向けずに
ひたすら心に向け心の鏡を拭い清めよ。
移り変わる現象人間の姿から心の眼を一転させて
水晶の水のように澄み切った眞実在の実相に心の鏡を向けよ。
そうすれば吾等の心は実在の世界と全くひとしく浄無垢となるのであります。



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