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ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

Drコトー診療所2006 第2話

2006-10-20 15:53:33 | 映画&ドラマにハマル!

原作のドラマって、読んだことなかったけれど、ストーリーが知りたくて、第二部の17巻から19巻まで買っちゃいました。こういうコミックスって読んだことなかったけれど、山田貴敏さんのは、やっぱり漫画の世界。手術シーンが、ちょっとカッチイには、強烈すぎで、お話が、ちょっと荒唐無稽に思えちゃった。漫画は、小さなエピソードの羅列だし、テレビドラマとは、別ものと考えたほうがいいみたい。

それでもって、ドラマ版の第二話ですが、やっぱりレベルが高いです。このドラマ。「北の国から」ばりに、丁寧に作られているのが、よくわかる。

自殺騒ぎを起こすサチオジを、びしっと叱った彩佳さんの言葉に説得力があるのは、命と向き合う病を得ているから。

第一話の時は、女性の部分も出して崩れてしまった彩佳さんを見せたけれど、今回は、静かに自分の決意を、コトー先生に語る。その抑制が、気丈だった。柴咲コウちゃん、強と弱、硬と柔のブレンド具合が絶妙で、この人が、若手女優として引っ張りだこな理由がわかる気がした。

あの離島で、看護師が、病になって、療養するというのは、彩佳さんには、考えられないこと。柴咲さんのスケジュールのせいで、彩佳さんを、島から出て行くことにしたのかと思ったけど、それだけじゃなかったんだ。

医師と看護師として、人の命を救っていくこのストーリーのなかで、通常の惚れたはれたの男女のラブストーリーは、なじまない。

けれど、二人が島にいたら、二人の関係が接近しないのも、またおかしい。恋愛ごとには、天然といっていいほど疎いコトー先生にも、さすがに、彩佳さんの存在は、他の人とは違ったものになっている。ただの恋愛というのでない、二人の尊敬や信頼を描くには、二人が、逆に一緒にいないことで描くのが得策と中江監督の判断だったのではないかしら。

乳がんという最もつらいシチュエーションを設定しておいて、彩佳さんに、島を留守にしてもらうのは、必然だったとも思える。

「一人だとは、思わないでくださいね。」と言うのが、コトー先生の精一杯の言葉。Drコトーが、Drコトーであるためには、それ以上を言っちゃいけないのよね。彩佳さんの乳がんは、二人が共有する課題として、授けられたようなものだ。

島を去る船の上で、コトー先生につけてあげたボタンを、両親から贈られたお守りに通し、胸に抱く彩佳。

診療所の屋上に、ぼんやり座ったとき、彼女がつけてくれたはずのボタンがないのに気づくコトー先生。

二人とも、一緒にいない。しかもセリフもない。別々に撮って、それでいて、二人の絆がわかる名シーンだったなあ。切なくて涙した人は、多かったに違いない。これって、演出の勝利だよね。

第三話からは、新米看護婦ミナさんを交えた島でのストーリーに、東京で療養する彩佳さんのシーン、これまた離れて暮らすタケトシ親子の展開が、絡むというので、進むのだろうな。木曜日の午後10時には、テレビの前から、動けません。


Drコトー診療所2006 第1話

2006-10-15 00:40:17 | 映画&ドラマにハマル!

待ちに待った「Drコトー診療所2006」が、始まりました。ドラマは、お気に入りを見つけて、リアルタイムで見ていくのが、醍醐味よね。

素晴らしい出来だった「Drコトー診療所2003」の続編を背負っての続投だけど、期待を裏切らないものだった。もうすでに、何度ビデオに撮ったものを、見直したことか。

コトー先生の指示を受けて、彩佳さんが、船内で、ひとりで気管切開を行ったり、それに続く診療所のオペも、よりリアルになって、ドラマのつかみは、しっかり。観客を釘付けにする。

今回のクライマックスは、何と言っても、彩佳さんの乳がんが、コトー先生に知れてしまうところ。看護婦としてのプライド、病気の不安が、ないまぜになって、激情を、コトー先生にぶつけたところは、若手No1の柴咲コウちゃんの力量だよ。あの気の強い普段の彩佳が、初めてもろく崩れるところを、上手く見せてくれた。

それにしても、「胸を、先生に見られるのがイヤ。そんなことを考えてしまう自分もイヤなんです」って、わかるなあ。女心。脚本の吉田紀子さん、いいセリフ思いつくよなあ。

前回の連ドラでは、男としては、コトー先生は、ちょっと「仙人」みたいだったからね(笑)今までの、話しの流れからして、コトー先生と彩佳さんとの関係が、ドラマの軸に入ってこないと不自然だし、クローズアップされるのは嬉しい。

でも、彩佳は、ずっと出演しそうにないらしい。彼女が中抜けすることを前提に、ストーリーは、進むよう。新米看護婦、仲井ミナ役で、蒼井優を投入したのは、そのせいね。

売れっ子の柴咲コウが、映画のスケジュールが入っているとか、交際中の妻夫木くんと離れるのがイヤで、離島でのロケを嫌がったとか諸説あるけれど、本当のところは、どうなんでしょうね。まあ、あれだけの俳優陣を、何ヶ月も、与那国島に留めておくのは、難しいことなんだろうけど、よく集まってくれたと思うよ。

吉岡さん、白髪が混じるのも自然で、ちょっと大人っぽくなった。表情に、また深みが加わったように思える。
「北の国から」から見事な脱皮、彼は、コトー先生という、また当たり役を得た。仕事には、本当に恵まれている人だ。フジテレビも、「北の国から」を意識して、隔年で作っていく意思はあるように思える。吉岡さんというのは、また青年期も、壮年期になるまで、一つのドラマを演じ続けるのだろうか?そうだとしたら、益々稀なる俳優人生になるなあ。

「北の国から」は、人間的な弱さも兼ね備えた「純」の役どころが、見る人の共感を得た。それが、倉本脚本の妙意だった。倉本さんのお弟子さんという脚本家の吉田紀子さんは「コトー先生」を、医師として優秀で、誠実な人柄、ある種、理想の医師といったキャラクターにしている。ここが、「北の国から」と大きく違うところだ。

どうコトー先生を、料理していくのか?人格者も、やはり人の子。悩みは尽きないのだということを、今回リアルに、見せていくつもりのようだ。初回から、吉岡コトーの苦悩の表情が、満載だった。

ドラマのなかで、自転車をこぐコトー先生が、よく映し出される。元気に漕ぐシーンが多いけれど、時には、重そうに、自転車と共に、とぼとぼ歩くコトー先生も映る。この背中に、離島医療を背負うコトー先生の孤独が、伝わってくるんだよね。

絵空ごとでなく、本当にあの島に、コトー先生がいると思わせるところが、吉岡コトーの魅力です。


「いいとも 秋の祭典」

2006-10-10 02:46:34 | 映画&ドラマにハマル!

Drコトー診療所2006」が、始まるのを、指折り数える毎日だ。それで、フジテレビのドラマの番宣番組として7日に、「笑っていいとも!2006秋の祭典SP!」も、見たのだけど、これって、いいとも?

「Drコトー診療所」は、なんとスタジオに出演者は3人のみ。こういう時の盛り上げ役の泉谷しげるさんと、筧利夫さんと、堺雅人さんは、頑張ってくれたよ。でも、クイズ番組の出題と回答するゲームには、圧倒的に不利 っつうか、3人では、ゲームになるのがギリギリ!

主役の吉岡くんは、与那国からの中継で映った。彼の顔を見て、「あ、コトー先生がいる」と思った人は、多かったに違いない。白衣を着た吉岡コトーは、スタジオの騒々しさとは、ずれた感じで、つつましく微笑んでいる。この人特有の柔らかな空気感をまとっていて、これって、オーラでしょ。

何か言ってくれるかなあと待っていたのに、おばかな女子アナの段取りの悪さのおかげで、吉岡さんは、一言も話せずじまい。主演俳優に、マイクを向けないなんて、めちゃくちゃ失礼!

さらに、東京から、与那国という距離のせいか、電波が遠くて、昔の国際電話みたいな状況みたいだったのだろう。それをわかりながら、スタジオの若手芸人たちは、しゃべらなかった吉岡さんに、ブーイング。(のようにカッチイには見えた)タモリも、中居くんも、あきれ気味で、フォローはしなかった。

「オイ、吉岡、お高くとまってんじゃないよ、何か言えよ」「お前だけ特別扱いか?」という嫉妬を感じたわ。だって、安手の芸人は、ちょっとでも自分にスポットの当たる時間をもらおうと番組内でも、躍起になっているわけで。(ゆえに、この番組は、くだらない)

普通は、主役俳優が、アーチェリーに、トライしないといけない場面も、新人看護婦役の蒼井ミナちゃんが代打。吉岡さんは、撮影のために、「いなくなっちゃいました」(女子アナの弁)

中江監督が、吉岡さんを、撮影に連れ去ったのは、正解だった。コトーのイメージを、守るには、アーチェリーなんかさせちゃいけません。(本当は、見たかったけど)オバカな番宣番組に協力するより、ドラマの撮影にかけるのが、仕事人ってもんです。

でも、吉岡くんの、あのオトボケぶりでは、バラエティ番組出演は、限りなく遠くなったことには違いない。

この人って、やっぱり素でも独特。かばってあげらずにはいられない(爆)雰囲気があるのね。ちょっと年上の出演者、筧さんや時任さんが、彼を盛り立て、年長者の泉谷さんや小林薫さんたちが、彼を支えているチームワークが、よく伝わってくる。

今週の木曜ね。初回を楽しみに待ちましょう。


バルトの楽園

2006-07-27 23:01:43 | 映画&ドラマにハマル!

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バルトの楽園」せっかく、公開すぐに見に行ったのに、ブログに書くのに時機をはずしてしまったが、書く(笑)

第一次世界大戦時、チンタオで日本に捕らわれたドイツ人俘虜(捕虜と同じ意)が、日本各地に収容された。鳴門の板東(ばんどう)の俘虜収容所所長、松江豊寿(まつえ とよひさ)は、陸軍の上層部と対立してまでも、ドイツ人俘虜を人道的に扱い、収容所としては、例のない寛容な待遇をした。

ドイツ人俘虜は、日本という言語、、習慣、文化の異なる地域住民と交流を図ることになる。徳島県の鳴門で、ドイツ人と日本人との交流の歴史は、広くは知られているとは言い難かったのを、東映が映画化した。「きけ、わだつみの声」の出目昌伸監督が、メガホンを取り、主役の松江豊寿に、松平健、ドイツ側の将校に、ブルーノガンツ、という名優を配した。

マツケンサンバばかりでない、松平健を見せることが出来、松平さんも満足だろうし、ブルーノガンツも、この前に公開されたのが、「ヒットラー最後の12日間」で、狂おしい独裁者を演じたから、誇り高いドイツの将校を、威厳を持って演じることができ、こちらも芸達者なところを見せた。

ドイツは、どうしても、ナチを連想させるドイツの否定的なイメージを払拭させたいという悲願があり、そのために、努力するのが、ドイツの宿命のようなものだ。

日独交流の暖かなエピソードをつなげたこの映画は、そのドイツの願いに沿った作りになっている。この映画の監督をはじめ、日独の俳優、スタッフは、国が違っても、理解できる共通の思いを、確認しあって映画制作をしたことがわかる。

ただ、それだからか、ちょっと感動をねらいすぎた、わかりやすさが意図的に思えてしまうところがあった。

たとえば、若いドイツの兵士が、ドイツの母に向けて手紙を書いている文章を、日本語でナレーションで言わせるのである。中高年の観客を当て込んでいるから、日本語にしたほうが聞きやすいと思ったのだろうが、「おかあさん、ボクは、今、ニッポンのバンドウというところにいます。」などどたどたどしい日本語で言われると、違和感を感じてしまった。ドイツ人が、言っているのだから、ドイツ語でそのまま言わせて、字幕をつければいいではないか。

松平健さんは、意外なほど、ドイツ語のセリフが多く、努力の跡がしのばれるが、ブルーノガンツとの演技対決の際には、それが負担になったことは、想像に難くない。やっぱりドイツ語のセリフに、感情を乗せるのは、苦労していた。

対するブルーノガンツは、98パーセントドイツ語のセリフだからね。彼が、松平さんが、ドイツ語のセリフが言いやすいように、配慮して演技しているのが見えてしまった。

鳴門には、四国八十八か所巡礼の出発点となる一番札所・霊山寺があり、映画にも、重要なシーンで登場する。

実は、私は、この映画を見て直後、鳴門に営業に行ったのだ。地元の方と、この映画について話し合う機会があり、鳴門にある「おもてなし」の伝統が、映画で伝わるといいなと話されていたことが印象的だった。

また、松江所長が、どうしてあんなにドイツ人俘虜に寛大であったかは、彼が会津藩士として、明治政府になってから、辛酸をなめたからこそであり、窮地にあっても、誇りを失わない生き方を実践してきたからである。この映画は、ドイツでも公開されるようであるが、この日本の歴史のバックグラウンドが、ドイツでは伝わるだろうかと、私たちは、話し合った。

最後に、自由の身となり、日本を離れることになったドイツ人俘虜が、板東人たちの前で、べートーベンの第九を、演奏するところが、映画のクライマックスになっていて、なるほど、クライマックスねとは、思ったのだが、エンドロールでも、延々と「一万人の第九演奏会」に引き継がれ、個人的にはしらけてしまった。

混血の少女と、彼女を引き取って日本に残り、パン屋としてい生きていく決意をしたドイツ青年のその後を、映像でちらっと見せてくれたら良かったのにと不満に思った。

第九を歌わないと、その年が暮れないなどというドイツファンに、私は、ひいてしまう。熱狂的なドイツファンとは、距離を置いていたい。冷静でいたいと思うから。

わかりやすさが、アダになったと思う部分はあるが、総合的に見て、良心的に、丁寧に作られた作品であるし、中高年が映画館に足を運んで、損したとは、きっと思わない映画だ。


点子ちゃんとアントン

2006-04-20 15:11:51 | 映画&ドラマにハマル!
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ヒトラーを描いた映画で、しんどい思いをしたので、今回は、明るいドイツ映画「点子ちゃんとアントン」(1999年)を見た。といっても、いつものようにおうちでDVD。映画館に出かけたいが、終日、まだイベントに出す商品のシール張りで、どこへも出かけられないのだ。

ドイツの有名な児童文学者エーリッヒ・ケストナーの原作を、うまく現代に舞台を移して、ファミリーで見れる映画に仕上げている。

カロリーネリンク監督は、子供を描くと、とても上手い。子供の表情が、可愛くて自然で、顔がほころぶのだ。特典にメイキングや、彼女のインタビューがあって、面白かった。

共演者のママ役のユリアーナ・ケラー(彼女は、「名もなきアフリカの地」でもキャスティングされている)も言っていたが、カロリーネ・リンク監督の演技指導は、的確なのだという。

メイキングを見ると、てきぱきと指示する監督に、子供ながらも、迷いを感じず、演技に没頭している様子が伺われた。

彼女は、子役をキャスティングするときは、役のキャラクターを、その子役が、もともと資質として持っていることかどうかを重要視するという。シャイな子に、元気な役を当てて無理に演技させても、うまくいかない。その子とキャラクターがかぶる部分を見つけて、それを引き出すやり方のほうが、自然でのびのびした演技をさせることができるという。

エレア・ガイスラーは、はつらつとして元気一杯。自我が強く、言いたいことをはっきり言う。点子ちゃんは、大人なんか当てにしない。アントンを助けるためには、自分で駅で歌ってオカネを稼ぐという実行力を持っているのだが、エレア自身、「ほとんど点子ちゃんは、私だわ。」と言っていた。

アントン役のマックス・フェルダーは、離婚家庭でママと二人暮しで、この年齢にしては、大人びていて、悩みを抱えている男の子という役どころにぴったりのシャイさと内面を感じさせる。

子役が、成長して、俳優という職業を選ぶかどうかはわからない。しかし、自分に似た人物を、客観的に演じて見せるという経験は、その子の人生に、奥深く埋め込むものがあるのだろうと思う。

カロリーネ・リンク監督の作品は、「ビヨンド・サイレンス」「名もなきアフリカ地で」にも、子供が登場して、精彩を放っている。上記の作品は、幼少期から、もう少し長く少女の成長を描いている分、複雑で、重みもあるのだが、たまには、こういうピュアで、心温まる映画というのもいいものだ。