創価学会の問題を語る中で、マインド・コントロール(MC)の話は度々登場するものの一つです。
その中でも「すっぱいブドウ」の話はよくたとえ話として引き出されます。
このブログでも何度かご紹介したイソップ童話ですね。キツネが木になっているブドウを採ろうと一生懸命ジャンプしますが届かず手に入れることが出来ません。そこでキツネは「ふん、あのブドウはすっぱいに決まっている!」と負け惜しみを吐き捨てる、というものです。
これは「認知的不協和」という心理のたとえ話です。
自分の信念やそれまでの行動とは矛盾する事実に相対したとき、人は強いストレスに晒されます。それを回避するため、それまで持っていた信念や行動基準を変えるか、直面した事実を否定することになります。この心理作用を認知的不協和と言います。
そして「すっぱいブドウ」と逆の心理。「甘いレモン」というものがあります。こちらは「すっぱいブドウ」に対してあまり出てきませんね。
名前で大体想像がつく内容かと思いますが、簡単に説明しますと・・・。
レモンしか手に入らないから、そのレモンは甘いのだと思い込む現象です。
「レモンしか手に入らない」という状況は、たとえば禁煙できない、ブラック企業に勤めている、自分の信仰している宗教がカルト宗教と批判される、などなどの状況でしょうか。
その反作用として喫煙者の方が健康だ、この仕事が好きなんだ、批判されるから正しい宗教なんだ、といった考えに向かうと言えますでしょうか。
この社会心理を実験した内容は、以前このブログでも紹介させていただきました。
よろしければ左のカテゴリから「認知的不協和の理論」から、その6、その7に書かれてある「強制的承諾の効果」という記事をお読み下さい。
とかく人は苦労して手に入れたものほど、価値があると思い込みたいものです。
大金を出して買った美術品が、贋作の安物だとは思いたくないでしょう。鑑定書で贋作であると動かしようのない事実を突きつけられて、それでも「いや、この贋作は真作以上に素晴らしい」と言ってしまうのが甘いレモンの心理です。
信心に打ち込んで一生懸命学会活動してきた人ほど学会の不都合な真実は耳に入れられないものであり、認めざるを得ない場合「それだから(騙しているから)むしろたくさんの人が救われている」などというぶっ飛んだ反論をしてくることもあるのです。
今回紹介した認知的不協和における「すっぱいブドウ」と「甘いレモン」を分かりやすく解説している「論理的思考と議論」というサイトをリンクしておきますので、興味のある方は是非ご覧になって見てください。MCについての理解も深められると思います。(更にこのサイトにリンクされているサイトの「二重思考」も興味深い)
創価学会の活動家の方では、実は「すっぱいブドウ」よりも「甘いレモン」の心理の方が比重が大きいはず。人間、なかなか捨てられないものなのですよね・・・。どんなもの(こと)でも。
さて、今月初めからうちのニャンコ・マダラ君の病気のことを報告させて頂いていましたが、点滴通いの頻度はだいぶ延びてきて少し落ち着いてきました。
傍目にはすっかり元気で、相変わらず俊敏な動きでヤンチャな子猫のようであります。食欲もあり・・・なんですが腎臓病に特化した療法食より、お兄ちゃんが食べているphコントロールの療法食が好きで、そっちばかり横取りしようとします。好きなものを好きなだけ食べさせてあげたいものの、難しいところですね。なるべく自分のを食べるようにご飯中は背後で見守っていますw
まあ人間も同じなのですが、病気はなりたくてなるものではないので仕方ないとして、早期発見が大事になってきます。ましてや動物はその不調や変化を言葉で伝えることが出来ず、見過ごしがちです。
定期健診などを取り入れ健康第一で過ごしたいものです。皆様もどうか、普段から自分やご家族・ペットの健康をチェックして下さいね。
以前競技用のラジコンにのめり込んでいた時期がありました。後づけのオプションパーツを購入し、プラモデルのように組み立て、自分のラジコンに装着し、そしてサーキットで走らせる。・・・訳なんですが、パーツによってはそれによって走りにどう影響があるのかが解らない物が幾つかありました。プロのRCレーサー(そういう人たちのことを、あの世界では”エキスパート”と呼んでいました)に言わせるとあーだったりこーだったりするらしいのですが、凡人の自分には分からなかったりすることがままあったのです。せっかく部品を買ったのに、効果が解らないなんて認めたくない、それゆえの見栄から、「確かにコーナーでの立ち上がりが良くなった」とかなんとか、解っているフリをしたことが、恥ずかしながら何度かありましたね。
今と同じ話を、むかし走り屋をやっていた友人に話したことがあるんです。
「心理学で、認知的不協和って言うんだ」と最後に付け加えました。その友人、実は忘れ花火のケンジロウと同じFCを二台も乗り継いだ生粋の元ロータリーエンジン求道者なんです。
「RX-7がFCからFDにフルモデルチェンジしたときの俺がまさしくその状態だった。FDはパワーがあり過ぎる、FCの方がトータルバランスでは上だって言い張って新型のFDを受け付けようとは思わなかったんだ」と言っていました。クルマの魅力なんてスペックだけで全てが決まる訳ではないのに、男ってほんと、馬鹿ですよね。
認知的不協和状態にある人って、自分がそういう状態であることに気づけないくらい、冷静さを失ってしまっているのかも知れませんね。また、カルトにハマりやすい人って、認知的不協和状態になり易い傾向があるのだと思うんです。反対意見に耳を貸さない&貸せない学会員が多いのには、そういう要素があるからだという仮説はじゅうぶん成り立つと考えられます。
知っているという前提で話を進めるなら、あの孤児院こそまさに、認知的不協和が起こり易い環境だと思うんです。しかし登場人物たちは意外とあっさり真実を受け入れてアクションを起こしてますよね。まあそうでないと物語を先に進めることが出来なくなるんですけどね。
知らないのなら、強く熱くお勧めします。進撃の巨人とやや設定が似ている向きがあるにはあるんですが、デスノートを彷彿とさせる頭脳戦がなかなかクールな作品です。
当時は何人も職場に、学会員達が居たけど、段々景気も悪くなり、ライバル社が次々に現れ、仕事が減り余ったパート従業員を毎日休ませたりしてました。1人でも学会員がいる会社は安泰と言われても、日本全体が景気悪くなれば、信仰云々関係なくどの業界にもリストラや倒産もあります。リストラされるのも、意味がある、もっと自分に合う職場を紹介されたり、倒産も同じで、求人で自分に合う職場が見つかったり、事業を起こして立ち直る人も居るから、など言われました。
信仰云々ではなく再就職って年齢や、過去にやってきた仕事内容や経験などで、ほぼ決まると思います。
そうそう、近所に財務3桁を目指し、折伏も結果を出してた男子部幹部が住んでます。仕事は建築系で10年前に独立し、前事務所から顧客も引き継ぎご自分の設計事務所を持って、将来は前途洋々と思いました。聞けば仕事が暇な時も多く、業務と無関係な娘の机など、自分でこさえ見せられました。家具は本職でなく、素人が作る感じだから、他では売れないと思います。
家は、学会の集まりの為にローンで建て、建築事務所の家賃もあるし、大変だと思いますが、頑張って下さいって感じですかね。多分、商売が大変な人達を救う為に、自分がこの様な辛い経験してるはずと思っていらっしゃたでしょう。
>高校の頃、心理学の本で読んで知っていたのにも関わらず、一時的にとはいえ創価学会を信じてしまった愚か者な僕です。
しかしこの下地があったからこそ、創価学会から離れることができたのではないでしょうか。
人の心理を利用するようなものは、知っていれば完全に防げるというようなものではありません。人間その時々で精神状態は様々なものですから。
けれど知識があれば、利用されず防げるかもしれない、もし術中に陥ってもいずれ気付くかもしれない。その確率が上がるのです。
最近では通販で実物を手にしないまま買い物する機会が増えていますよね。
時には「失敗した~」と思うこともあるのではないでしょうか。私もたまにやらかします。
そんな時、よく発動するんですよね。甘いレモンはw
「いや、これはこれで良いんじゃね?」みたいに。本当に良い場合もあれば、やはり失敗だということもあり。
すっぱいブドウも甘いレモンも、そういう心理になってしまうことは仕方ないことです。その次の瞬間に、如何に自分の心と状況を客観的に捉えられるか、ということでしょうね。
潔く失敗を失敗と認められるかどうか。失敗の傷を広げず次の成功に活かせるかどうかは、最終的に人生お得に生きられるかどうかはそこにかかっているのかもしれません。
「約束のネバーランド」勿論読んでいますよ~。最近はちょっとドキドキ感薄れてきましたが、最初の頃は毎週優先してページをめくる作品となっていました。
あの孤児院・・・あそこまで完全に舞台が整っていると、それこそ管理者側は子供たちが何か疑問を持ったとき、真実を垣間見たとき、色々なパターンに対しての対応マニュアルが用意されているわけですよね。
認知的不協和のその先まで見越している感があります。ママは見越しているにも関わらず、その更に先を見越されたようなものですが。
けれど一番強烈な認知的不協和を抱えているのはそのママ自身でしたね。
ママの環境に身を置けば、そうなっても仕方ないのかと思わされたり。
番外編の4コマでママに感謝のサプライズを仕掛ける様子がありましたが、ああいうのが余計に残酷さを引き立ててくれました。
明日はジャンプ発売日ですね。果たしてハンターxハンターは無事に連載が続くのか?ww
もっと大きな難を軽くしてもらっているのだよ、っていう常套句が学会には蔓延しています。
何に対しても言い訳をしていると、そうなるんですね。つまりは、思い通りにはならないのが世の中よ、とでも言ったところでしょうか。
学会員さんたちは学会員同士で固まることが多いので気付きにくいのかもしれませんが、日本では世のほとんどの人が特定の宗教を持っていません。
その中で自分の経験や身の回り、社会の状況、そして努力によって、人生の荒波を乗り越えていくものです。乗り越えざるをえず、乗り越えているのです。
上手く波を乗り切る人ほど自身や周りを客観視できていると思います。なので、いらないものはいらないと、ハッキリ認められるかが重要になってくるのだと思います。
損きりできる人が、結局は大きなものを得ることができるのではないでしょうか。
捉われた足元に対してくどくど不満を並べている人は、そこから動くことはできないものです。
創価学会は、その不満を煽ることしかしていません。そのことに気付く学会員さんはいくらかいても、足元を絡め取るものの正体が創価学会自体であるということはなかなか気付かず、認めようとしない人のなんと多いことか。
客観視し、自分の捉えているものの正体を見極めることができれば、ブドウを手に入れることもレモンの本当の味を知ることも、難しくないのでしょうね。
組織につくと、自分を殺し任命された役職や活動に当たり、常に先輩や後輩の前でさも物分りの良い素直な自分を演じざるおえず、辛かったです。学会の悪口、批判は厳しく注意され、偽善をまとい、本当の自分とは隔たりがありました。
人様のブログですが偽らなくて良い、本心が言える場所があり、幸せを感じます。師弟の強い絆と言うと、聞こえはいいけど、長年周囲に気を使いがんじがらめな組織で疲れ切り、クロさんには感謝致します。
人生は一度きり、活動で何かそぐわない、おかしいなと思ったら、立ち止まり自分はどうしたいか、周りに流されないで答えを見つけるべきだと今は感じます。例えそれが、組織を離れる事になっても。
学会組織から離れると、落ち込んで暗い性格になるか不幸に見舞われると思いましたが、幸い無事に過ごせてます。お忙しい方ですので、お返事不要です。では、失礼致しました。
学会で同じような体験をしている人にとっては、やはり経験者の方の言葉は説得力が違います。
それは私には担えない役ですから。
お気遣い下さり、ありがとうございます。
暑さも厳しく、また地域によっては豪雨の災害もあります。ケイコさんもお気をつけて元気にお過ごし下さいね。