真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

これが成果。

2017-02-12 21:47:52 | 認知的不協和の理論

大勝利さんのブログ「聖教新聞一面だけは読んでやる!」の2017年2月10日の記事を拝見して、私はちょっとゾッとしました。

フロリダで3ヵ国200人の青年が求道の心燃やし参加
北米・オセアニア教学研修会
池田先生が若き友にメッセージ贈る
幸福と平和の智慧を世界へ

との一面の見出し。そして大勝利さんが記事にして下さった部分が以下のものです。この内容に、私はゾッとしました。

米ニューメキシコの女子地区リーダーが、
「研修を通し、困難に直面した際に
”池田先生ならどうされるか”を
考える事が重要だと分かりました。」と言っているらしい。

何がゾッとしたかお分かりでしょうか?

「池田先生ならどうされるか」を考える、の部分です。

あぁ、これ完全なマインド・コントロール(MC)じゃないか!と。見事なMCです。お手本のように。

ニューメキシコの地区リーダーさんは、自ら理想とする池田氏をここで作り上げていきます。何か悩みや問題があったとして、その解決に完全無欠のスーパーヒーローが降臨するわけです。彼女の頭の中で。

それは彼女の妄想に過ぎないでしょうか?いいえ。彼女の中ではそれが現実の池田先生なのです。もしかしたら、妄想より本物はもっと凄い、と常に感じているかもしれません。

この思考の中では池田氏が現実にどうするか、はさほど考えられはしません。え?「池田先生ならどうするか」考えるのにさほど考えられないってどういうことかって?

「現実に」どうするかが考えられないのであって、彼女の頭の中で繰り広げられるのは「理想的に動いてくれる池田先生」です。現実より理想。「こうであってほしい」「こうであるべきだ」という理想に沿って、池田氏が動きます。あくまで彼女の頭の中では。

なので過去の池田氏の言動や、そこから推測される池田氏の性格などは重要視されません。あくまで、聖教新聞や人間革命の「山本伸一」、あるいは学会の出版物によるイメージの延長線上で、「理想的に動いてくれる池田先生」を想像し、そして想像の中の池田先生に心酔していくのです。

MCはたまに洗脳と同一視されることがあるのですが、この両者はまったくの別物です。

洗脳は書いて字のごとく、脳を洗う。一旦それまでの自我、アイデンティティを完全に崩壊させて新たな思想を植えつけることになります。ですので洗脳された人間は、それまでとは人格から全く変わってしまうことが特徴です。手法としても、薬物投与や虐待など、物理的な手段を用いることが前提とされます。

MCはこの洗脳のライトなやつ、と考えられがちですが大事なことなので二度言いますが、全くの別物です。

MCは「特定の目的を持ったある選択を、自ら選び取るように仕向ける」簡単に言うとこんな感じです。

ですのでMCされている人間は自ら選択していると思っているので、MCされている自覚はありませんし、人格や性格が変わることもありません。長期的には影響しますが。

そして洗脳がONとOFFのように施術されるのも解けるのも短期的ならば、MCはかかるのも解けるのも時間がかかります。

一つたとえ話をしましょう。

駅に行くまでにAという道とBという道があります。両方とも距離は同じ。歩きやすさ、交通量も変わりません。

そこへターゲットにAの道に関する悪い噂だけ吹き込みます。

「Aの道ではよく事故が起こる」「あの道はなんとなく陰気臭い」「Aの道でこの前痴漢が出たらしい」などなど、真偽も不明な噂を吹き込みます。そして同時にBの道の良い噂を口にします。

「Bの道はきれいね」「Bの道でこの前100円拾った」「Bの道では向かい風に遭わない」などなど、どうでもいいようなネタでもポジティブなものにします。

ターゲットは別段気にしていなくても、ある日Aの道を通ったときに何か悪いことが起こるとこの噂話を思い出します。Bの道で何事もなく通れると「やっぱりBだから無事だったのか」などと思い始めたりもします。そしてAの道で躓いて怪我でもしようものなら決定的です。

ターゲットは誰にも「Bの道を通れ」と命令されてはいません。「Aの道を通るな」とも。

しかしBの道を意識的に選び続け、何かの理由でAを通るときには「何事もありませんように」と願い、今まで気にもしなかったようなことが目に付いて「Aの道はやっぱりダメだ」と自ら噂話を補完していきます。

自らAの道のダメなところを探して考え始めます。自らBの道の良いところを探して考え始めます。

何故か。

それは一度でもAを悪いと思い、Bを選んだ自らの選択を正当化するためでもあり、その(思考に費やした)労力を無価値にしないためにです。誰でも自分の選択を否定されるのは気分のいいものではありません。自分が間違っていたとしても。

その正誤があやふやなものであるのならばその心理は更に強く働くでしょう。だから宗教ではMCされやすいのです。

ましてや労力や時間(創価で言えば活動であり、信仰についての思考)を費やしたならばなかなか切って捨てることはできません。正当化するほうに注力してしまうものなのです。人間の当然の心理として。

これが「認知的不協和」の心理であり、「すっぱいブドウ」の話と言えばお分かりの方も多いと思います。

ニューメキシコの地区リーダーさんは、ことある毎に「理想的な池田先生」を想像してそれを自らの指針とすることでしょう。この「理想的な池田先生」は勿論想像上の人物ですから、人によって様々です。その人一人ひとりにとって都合のいい、理想の姿が展開されます。

あの元職員3名の頭の中で、彼らを鼓舞する崇高な「師匠」もその中の一つと言えましょう。彼らの「師匠」とニューメキシコ地区リーダーの「池田先生」は必ずしも同じ言動をするとは限らないのです。面白いことに。

そして誰しもがその理想像を押し付けられたわけではないのです。自ら選び取った思考なのです。

元職員3名にとっては都合のいい師匠利用となっていますが、一般会員の多くにとっては未だ聖教新聞は重要なMCツールであることに違いはありません。

メキシコの地区リーダーさんに倣い、我も我もと理想の池田先生像を構築していくことでしょう。

「先生ならきっとこうしたはずだ」と。それは全知であり全能であり、その上をも行くことができる「凡人の考えの及ぶところではない」という魔法でもあるのです。

ここ最近の大勝利さんのブログから見る聖教一面で一番ゾッとしたお話でした。


4 コメント

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Unknown (大勝利)
2017-02-13 21:28:18
クロさん。
そこまでは、考えが及びませんでした。
男女交際の付き合い始め、恋愛の始まりみたいに、
彼や彼女を過大評価、アバタもエクボ状態。的な感じでしょうか?ちょっと違いますかね...。
しっかし、恋愛はある程度、時期がくると覚めるのに?(ボクだけ?)
なかなか覚めませんね。
困ったもんですね...。

いつも、ありがとうございます。
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Unknown (ろむ)
2017-02-18 19:10:32
クロさん。
よく分かりました。
混同して使うことが多いですね。
面白い記事がありました。
内容的には、従来のものですが、
3人組などとともに、このような発言を
野放しにしている辺りが、創価の瓦解・
崩壊の時が近いことを予感させてくれます。

創価学会信者・長井秀和が清水富美加報道で宗教への弱腰を批判、自ら学会タブーに言及!「池田大作先生も…」
http://lite-ra.com/2017/02/post-2930.html
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大勝利さんへ (クロ)
2017-02-20 00:57:34
男女交際になぞらえるとは、意外と悪くないですね。
好きな人のことはチャームポイント、美点ばかりを考えてしまうもの。
逆に嫌いな人のことは悪い点ばかり探してしまうものですからね。
大勝利さんのコメントで、イギリスの小説家モームの「最も永く続く愛は、報われぬ愛である」という名言が頭に浮かびました。
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ろむさんへ (クロ)
2017-02-20 01:19:59
KKに出家の女優さんも、自身で「洗脳されてると思われる~」のような発言をしていましたね。
まあ、一般には意味が通じればいいのかもしれませんが。
ただ、学会員さんにおいては自分の状況を理解するために、正しい知識を身につけて欲しいと思っています。
組織で何か言われるたび、聖教新聞でこのような記事を目にするたび、「これはMCでは?」とチラッとでも思ってくれればいいのですが。

ご紹介のサイト、拝見いたしました。
長井さん、フェイスブックから元広宣部の方のブログで対談の様子をアップしていますね。
彼の経歴を考えると、このような話ができるというのは意外というか驚きというか、なんですが。
今はテレビや新聞だけを押さえておけば何とかなっていた時代とは大きく変わってきています。
下手に圧力を掛けてもみ消せば、その行為自体を暴露されてしまうというネットの情報力。これによりテレビも新聞も随分偏向、捏造の証拠を晒されてきていますね。
創価学会でも同様なのでしょう。ネットで拡散されたものは回収できません。
いつまでも耐え切れるものではないでしょうね。
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