真実と幻想と創価学会

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マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その5

2015-05-24 17:50:36 | 認知的不協和の理論
マインド・コントロールとは何か マインド・コントロールとは何か
価格:¥ 1,427(税込)
発売日:1995-08

 第5章 「人間が変わること」の理解のための社会心理学研究 より

決定後の不協和の効果

マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その5

~前略

 たとえば、大切なものを二つもっていて、いずれか一方は、あきらめなければならないという状況に追い込まれたときのことを想像すればよい。ある組織のメンバーになって新しい自分を生きはじめるか、あるいは、私たちの社会のメンバーとしてこのまま「将来の夢」を追求するか、どちらも棄てがたいというような事態である。しかし、どちらか一方しか選択できないのである。その人は、その組織のメンバーになっていままでとはまったく異なる人生を歩めば、確実に幸福を手にすることができると信じたとする。しかし、そうすることで、いままで描いてきた自己の将来像はどうなるのであろうか。

と、ここからとある実験の詳細が紹介されます。

その実験ではミネソタ大学の女子大学生57人に「色々な商品を開発しているメーカーの市場調査で、新製品に対しての感想を知りたい」と説明。

新製品としてトースター、ラジオ、ドライヤー、コーヒーポット、携帯ラジオ、電気スタンド、絹の壁掛け、美術の本の8つについて「全然欲しくない」から「非常に欲しい」まで8段階評価をつけてもらう。

その際女子大生に「調査の返礼として評価後、非常に欲しいと高く評価した2つの品物のうちいずれか一つを贈呈する」と告げる。

そして贈呈される一つを選びそれが包装されて女子大生に手渡された後「さっきのは第一印象の調査なのでもう一度製品の報告書を読んで検討してから最終評価をしてほしい」と再評価してもらう。

・・・という実験の説明の続きが以下の文です。

 このような手続きのあと被験者の評価には、ある特徴が認められた。それは、自分が、返礼として受け取った製品に対する評価が、最初の段階の評価と比べたら高くなっており、一方、選ばなかったもう一つの製品の評価は低くなっていたのである。つまり、被験者は、両方ともに魅力的なものから二者択一を迫られて、一つに決定したことで、選ばなかった製品に対する魅力との間に認知的不協和を経験したというわけである。そして、被験者は、二回目の評定の段階では、選んだほうの魅力をより高くし、もう一方で、選ばなかったほうの魅力を下げるという意思決定をして、その不協和を低減したというのである。

~中略~

 このことから、破壊的カルトに入ることを迷っていたとしても、入ってしまえば、その選択は他の選択より正しかったのだと一般に思おうとする傾向があるといえる。マインド・コントロールでは、個人が二者択一で迷っているとき、一時的なコントロール、つまり状況の力などを駆使してメンバーに引き込む。そうすることが、人は事前に迷っていたとしても、結局メンバーになったことをよかったことだと思わせ、同時に、自分が以前魅力的に思っていた事柄は、実はつまらないものであったと認知させる技術になるのである。

ちょっと実験の説明が本の中ではややこしかったので自分で簡単に説明してみましたが、お分かり頂けましたでしょうか。

きっと皆様も普段の生活の中でこういった心理を経験されたことがあると思います。

何か買い物をしたときなど「あ~、やっぱりあっちの方が良かったかな~」とか思っても、何かと理由をつけて買ったほうに納得しようとしたり。

「やってみなければ分からない」

「一度やってみて、それで嫌だったら辞めたらいい」

なんて何処かの組織の常套句ですね。これが認知させる技術なんですって。

そして本では組織に入る・入らないのことについて言及していますが、学会問題での本質は活動行為に重きを置いて考えるべきでしょう。

「活動(財務)する」「活動(財務)しない」の選択による認知の強化です。

上記の説明による心理作用からすれば、「活動(財務)する」ことによって「活動(財務)する」ことの選択が正しいことだと思うようになり、「活動(財務)しない」という選択がつまらないものであると思い込む傾向があるということです。

元活動家の方たちのお話を聞いていますと、多かれ少なかれ何らかの活動に際して元々の自分の価値観や社会一般の価値観と合わないことも経験されているようです。

その価値観の違いはストレスとして「認知的不協和」を起こし、そのストレスを低減しようとして「してしまった活動」をより正しいと思い、より「正しくする」ために活動に熱心になっていく・・・のではないかと思います。

更に言えば学会ではご丁寧に、「正しくする」ための理由が最初からたくさん用意されていますからね。アフターケアも万全というわけです。

さてさて、先週までパソコンの不調により皆様にはご心配をおかけしました(別にしてないって?w)。

不調をきたしたハードディスクをSSDに交換し、まっさらなところにOSを入れてこれでOK!というのが先週の状態。

そこからデータの引継ぎなどして、と考えていたのですが何やらまた調子がおかしい。

Windowsユーザーの方はご存知かと思いますが、パソコンをシャットダウンした時に勝手に更新プログラムをインストールしていくじゃないですか。

その更新(180個超あった)が毎回失敗し、そのたびに長時間再起動かかるという現象が。

それで今回ハードディスク交換を指導してくれた友人に相談すると、手動で数個ずつ更新していき、エラーの出る更新プログラムを炙り出し、そのエラーに個々に対応していくというもので。

結局、更新していく順番が問題だったようで4つあったエラーの更新プログラムを最後に更新するとちゃんと更新できました。

これで本当にやっと復活です。むしろ、前よりスピーディーに快適になり、おそらく寿命も延びたことでしょう。

ではでは皆様、パソコンが再び問題を起こさなければまた来週~w


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
バリ活で得た体験 (けいこ)
2015-06-03 00:01:19
新聞では学会正義等 の言葉が、並ぶけど 職場や友人関係で正義?を訴えてもまず通じません。「君はまだまだ青いね」「若いからそう思うんだよ」で終わりです。昔いた会社は「事業税等、払わなくて良し」と言う社長がいました。逆らう社員は皆無で、皆生活かかってるし~常に清く正しき理想論が、優先とは限りません。「皆さんの会社です。」と普段は社員思いの、社長でしたが。基本理想論より競争社会で生き残る事しか、企業は考えてないでしょう。清濁飲み合わせての生き方が、より現実的で大人な対応だと今も感じます。度々問題になるブラック企業が法の網をくぐり、今もある様に理想と現実は違いますね。
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けいこさんへ (クロ)
2015-06-07 16:32:36
学会での理想論や正義の主張は、まあ宗教団体ですから当然のような気もしますが、だったら現実的な介入を避けなければいけませんね。
精神論として個々人の解釈で己の人生に活かすならば良くも悪くも自分の責任ですが、統制された個々人の精神論で社会に影響を及ぼす政治に介入してくるのはいただけません。
実際清濁入り混じった現実と学会のキレイゴトの建前との乖離に、学会員さんも違和感を覚えているのではありませんか。覚えないか・・・。
まあ、アンチネタにはなりますけれどね。
しかし学会にとってはそれしきのこと目に入らないくらい、手放せない現実介入の手段なのでしょうね。
それが手放せないということの理由が、学会の逆鱗であり急所なのかもしれません。
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