綾瀬市議・上田博之のあやせタウンWebニュース【ブログ版】

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綾瀬市会議員 上田博之(日本共産党)です。

■不破哲三共産党前議長「70年代の自民党は傲慢ではなかった」 by日刊ゲンダイ

2015年06月11日 | 政治を考えるヒント

日刊ゲンダイ|不破哲三共産党前議長「70年代の自民党は傲慢ではなかった」

nikkan-gendai.com/articles/view/…


 
 
 以下、リンク先の引用です。
 
40年前というのは、田中、三木、福田内閣と続いた頃で、当時の国会論戦は非常に面白かった。なぜかといえば、政府が真剣だったからです。

 例えば、私は74年1月の国会質問で、米原子力潜水艦が寄港する際の放射能調査のデータ捏造問題を取り上げました。原潜が入港するたびに作成している、政府の放射能測定値の捏造ぶりを指摘したのです。それを突き付けると、田中角栄首相は完全に「参りました」となり、原潜の入港は183日間ストップしました。

 後に米国務省が公開した資料を見ると、当時のキッシンジャー国務長官は「早く解除しろ」と日本政府に強く迫っていたようですが、田中内閣は頑張っていましたね。今の安倍政権は米国の言いなりですが、70年代当時の日本政府は米国に対してもある程度、気概を持って対していたのです。

 78年2月の国会質問で千葉・柏市の通信施設「ロランC基地計画」を追及した際の政府対応も真剣でした。この施設は「平和な灯台」という触れ込みでしたが、原潜などが航行する際の位置確認に使うため、戦争になれば真っ先に攻撃対象になります。だから、どの国も地図にも出ていないような小さい集落に設置していた。日本のように人口密集地に造ろうとしている国はどこにもないわけです。それを当時の金丸信・防衛庁長官にぶつけると、計画は1年後に白紙撤回になりました。金権政治の親玉のようにいわれる田中角栄と金丸信ですが、国政の場では野党の声に真摯に耳を傾け、対応することがあったのです。

 共産党は72年12月の総選挙で39議席を確保し「躍進」といわれましたが、共産党の得票率が10.5%だったのに対し、自民党は46.9%。投票率は72%でしたから、計算すると自民党に対する有権者の支持率は33.7%ありました。昨年末の総選挙の自民党の支持率は17.4%ですから、今よりもはるかに力を持っていたわけです。しかし、今のように「1強」と言って傲慢な姿勢は決して取りませんでした。この点が40年前と今の政治情勢の一番大きな違いだと思いますね。

 70年代の自民党政権は強かったが、好き勝手にやれば国民の信頼を失うことを理解していました。しかし、今の安倍政権はそれが分からない。「丁寧に説明します」と丁寧に言うだけで何も説明しないし、沖縄の辺野古の新基地建設でも、全県民を敵に回しても「粛々と進める」と言っている。この鈍感さは大変なことで、今の政治状況はかなり危険水域にあるとみています。」


 それだけ自民党政治が劣化してきたということですね。この政治がいつまでも続けられるものではないことは自明です。
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