星椎水精先生の先祖供養 -正しい先祖供養で最高の幸せを手にした人たち

アトランティス神による本物の浄霊(先祖供養)の素晴らしさを紹介。

無欲の難しさ

2014年09月19日 23時56分28秒 | 浄霊の心掛け
(昨日の続きです)

先日ですが、近所のスーパーで買い物をして帰る時のことでした。

車に荷物を載せてドアを閉めると、後ろの方で「ゴドッ」っという鈍い音がしました。

振り返って見ると、自転車で買い物に来ていた強面のおじさんがいて、買ってきたばかりのビールをかごから落としてしまったようで、あちこちに散乱していました。

おじさんはブツブツ言いながら落ちたビールを拾っていましたが、周りの人も見てみぬふりだったので、私が一緒にビールを拾ってあげると、「すいません、すいません」と言って、そのあとで「これ、落ちたやつだけど、どうぞ!」と言って、拾ったビールを一本くれました。

「いらない」と言ったのですが、おじさんはそのまま行ってしまいました。


このような出来事はどこにでもあることだと思いますが、見方を変えると、供養に通じるものがあるんじゃないかと思いました。

今回の例では、私は別に、ビール(お礼)が欲しくておじさんを手伝ったわけでもなく、ただ困っているのだと思ったから手を貸しただけです。

言い換えれば、無欲であり見返りを期待していない行動ですよね。

相手もそれをわかっており、だからこそ人情からか、ささやかなお礼として買ったビ-ルを一つ私にくれたのでしょう。

このような人と人との「心」のある行動が、私は星椎水精先生の浄霊を申し込むにあたり、何よりも必要なのではないかと思うのです。

今回の例で、仮に私が拾ったビールを渡した後に「何かお礼はないの?」と言ったとしたら、相手はどのように思ったでしょうか?

下心がみえみえというか、そんな気持ちで手伝ってくれた人に、すすんで何かお礼をしてあげようとは思わないでしょうし、逆に、とっても嫌がられますよね。

そんな嫌がられるような行動をとっているのが、「欲」をもって先祖供養(浄霊)をしている人なのではないかと思います。

星椎水精先生の浄霊というのは、あくまでも成仏できないで苦しんでいる、困っている自分の先祖さんを助ける『人助け』です。

申し込んだ人の運気を上げたり、病気を治したりするためのものではなく、あくまでそれらは副産物に過ぎないと思っています。

ここを間違えて、浄霊後にあるかもしれない「お礼」ばかりを期待している人が、あまりにも多いのではないかと最近は思ってしまいます。

そのような人たちが、一度きりの申し込みで消えていったり、問い合わせだけで終わっていく人たちなのでしょう。



もしあなたの目の前に困っている人がいたら、助けてあげたいと思いませんか?

逆に助けられた人は、その心というか愛情にものすごく感謝すると思いますし、何かお返ししたいと思うのが人の情だと思います。

そのような見返りを期待しない行動に、先祖さんや神々からご褒美をもらって不思議な体験をされているのが、体験談を寄せてくださっている星椎水精先生の浄霊体験者の皆さんなのです。

「無欲」と言うのは、本当に難しいことだと思います。

何度も繰り返しになりますが、星椎水精先生の浄霊というのは、基本は『人助け』です。

困っている人がいれば手を差し伸べるという、とってもシンプルなものです。

だからこそ、本心から「先祖が成仏していなかったんだ」「苦しんでいるんだ」と理解できれば、自ずと困っている人を助けてあげるという「無欲の供養」ができると思います。

無欲でなければ浄霊は続かないし、だからこそ大きな徳を積むという事でもあると思います。

無欲の、そして浄霊を続けていくことの難しさを、改めて感じます。


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