今日は1月17日、阪神淡路大震災から22年が経ちました。
朝からテレビで現地の様子が映し出され、黙とうしているシーンなどが放映されていました。
ただ気になったのが、未だに祈りを捧げながら”泣いている”人がいることでした。
22年もたっているのに、震災で亡くなった人のことを想うと涙が出る…。
やはり、どこか違和感がありますよね。
この光景を目にして、星椎水精先生がおっしゃっておられる
「亡くなった人のことを考えた時に悲しくなるのは、その人ではなく、亡くなった人が悲しんでいる」
というお言葉の意味がハッキリとわかりました。
つまり、亡くなった人が成仏出来ず、自分の身内などに憑依して訴えかけているので、生きている人が悲しくて涙を流すわけです。
「もっと生きたかった」「苦しい」などの”無念”の波動ですね。
ですから、「天国で見守っていてくれている」はずなのに、「悲しい」というこの矛盾は一体何なのか、ということに対し、もっともっと世間の人は真剣に目を向けていく必要があります!
さて、姫路さんがよく仰ってられるのですが、
「復興は、目に見えない部分もしなくてはいけない」
のです。
阪神淡路大震災を例に挙げてみても、目に見える部分の再建は出来ても、目に見えない部分が放置されたままの状態です。
つまり、犠牲者の方たちが一向に成仏できていないため、地場は重苦しく悪くなり、亡くなった霊に憑依されますます霊障が酷く なるなど、マイナスがマイナスを呼ぶ悪循環が起こっているので、健全な状態ではないわけです。
仮に目に見えたとしたら、映画「バイオハザード」に出てくるような、ゾンビが荒廃した街を闊歩するようなカンジでしょうか。
それは、正に復興とは真逆です。
ですから、目に見えない部分の復興(星椎水精先生の浄霊による成仏)があって初めて、「本当に復興した」と言えるのです。
片手落ちの現在の復興では、意味のない事です。
ですから、未だに神戸の震災で家族を失った人達には、本当の「復興」=幸せにはほど遠いものが魂にあるのです。
それは、残された者の魂というより、震災で亡くなった魂のもがきに他ならないでしょう。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
見届け役:姫路さんのブログ:こちら
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ただ気になったのが、未だに祈りを捧げながら”泣いている”人がいることでした。
22年もたっているのに、震災で亡くなった人のことを想うと涙が出る…。
やはり、どこか違和感がありますよね。
この光景を目にして、星椎水精先生がおっしゃっておられる
「亡くなった人のことを考えた時に悲しくなるのは、その人ではなく、亡くなった人が悲しんでいる」
というお言葉の意味がハッキリとわかりました。
つまり、亡くなった人が成仏出来ず、自分の身内などに憑依して訴えかけているので、生きている人が悲しくて涙を流すわけです。
「もっと生きたかった」「苦しい」などの”無念”の波動ですね。
ですから、「天国で見守っていてくれている」はずなのに、「悲しい」というこの矛盾は一体何なのか、ということに対し、もっともっと世間の人は真剣に目を向けていく必要があります!
さて、姫路さんがよく仰ってられるのですが、
「復興は、目に見えない部分もしなくてはいけない」
のです。
阪神淡路大震災を例に挙げてみても、目に見える部分の再建は出来ても、目に見えない部分が放置されたままの状態です。
つまり、犠牲者の方たちが一向に成仏できていないため、地場は重苦しく悪くなり、亡くなった霊に憑依されますます霊障が酷く なるなど、マイナスがマイナスを呼ぶ悪循環が起こっているので、健全な状態ではないわけです。
仮に目に見えたとしたら、映画「バイオハザード」に出てくるような、ゾンビが荒廃した街を闊歩するようなカンジでしょうか。
それは、正に復興とは真逆です。
ですから、目に見えない部分の復興(星椎水精先生の浄霊による成仏)があって初めて、「本当に復興した」と言えるのです。
片手落ちの現在の復興では、意味のない事です。
ですから、未だに神戸の震災で家族を失った人達には、本当の「復興」=幸せにはほど遠いものが魂にあるのです。
それは、残された者の魂というより、震災で亡くなった魂のもがきに他ならないでしょう。
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