星椎水精先生の先祖供養 -正しい先祖供養で最高の幸せを手にした人たち

アトランティス神による本物の浄霊(先祖供養)の素晴らしさを紹介。

魔王 2

2014年05月02日 18時45分00秒 | 天国
(続きです)

「魔王」の中の父親と息子とのやり取りですが、息子は必死に自分が見えている魔王への恐怖を訴えますが、父親にはそれが見えないし、そんなものがいるとも思っていないわけです。

息子が「魔王がいる」と言っても、それは霧だと言い、魔王の囁き声も枯葉の音だとして、なだめるだけで一向に息子の言う事を理解しようとしない・・。

目に見えるもの、自分が理解できる範囲で息子を納得させようとしているというか・・・。


これはまるで、霊感のある人と無心論者とのやり取りと、そっくりではないでしょうか?

星椎水精先生の浄霊も同じように、いくら「先祖だよ」と言っても、ほとんどの人は「そんなことあるわけない」と理解できないわけですから。

本当によく似ているなぁ、と思いながら、この魔王について考えました。


この「魔王」は、もともとはゲーテの詩らしいのですが、シューベルトが歌曲にした時に若干ニュアンスを変えたそうなのです。

以前姫路さんがおっしゃっておられましたが、音楽をする人(ミュージシャンなど)は、やはり霊感があるようです。

ほんの少しの音のズレも敏感に察知するわけだし、いろいろなインスピレーションを受け取るわけですから、感覚が鋭いといいますか、霊感があるのだなと思います。(だから普通の人とは違い、音楽の才能があるといえるわけですね)

ですから、私が思うにこの魔王も、もしかしたらシューベルトにはこの様なものが見えていたのではないかと思うのです。

魔王でなくとも、霊などが見えていて(わかっていて)、それを表現したのかもしれないな、と思いました。

だからこそ、リアリティーがあるというか・・。


小学校の頃、初めて聞いた「魔王」は私にとって本当にとても怖いものでした。

それは、まだ小学生という、魂も純粋だった頃だという事が、大きく関係しているのではないかと思うのです。

魔王というか死神みたいなものが、実在するんだと魂は知っていたからこそ、余計にこの「魔王」について恐怖を私の幼い魂は感じ取っていたのではないかと思います。


私自身の解釈としては、やはり曲中の瀕死の子供には、魔王が見えていたのだと思います。

星椎水精先生の著書で、「お花畑が見える・・」と言った女の子に対し、親が「何をばかなことをいっているんだ」と言った翌日、女の子が亡くなったというお話がありましたが、それをふと思い出しましました。

同じように、子供が実際に霊が見ていて「霊がいる」と言っても、大抵の大人は「そんなもの、いるわけがない」といって否定します。

否定した結果どうなるかというと、いろいろなサインやヒントがそこにあるのに、それをみすみす逃してしまうのと同じ事なので、最終的には不幸として自分に返ってきてしまうわけです。

難しいですが、疑うばかりではなく、もう少し人の言葉(特に幼い純粋な魂の子供達の言葉)に耳を傾け、私達大人はそこの審議を思慮深く見てゆかなければいけないのではないでしょうか。

ただただ怖いと思っていた「魔王」という楽曲を、違う面から考えさせられた、先日の車中の出来事でした。



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