と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

映画「雨あがる」を見て

2013年03月30日 08時22分04秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

徹底した善人

 

 

 退職してから、レンタルビデオ店に出入りすることが多くなった。愚生のことだから、時代劇が多い。一昨日も「雨あがる」というのを借りてきて見させていただいた。

 拙ブログでお世話になっているgooに映画の紹介が出ていたから、以下に引用させていただく。↓

 

人を押しのけてまで出世することが出来ない心優しい武士と、そんな夫を理解し支える妻の心暖まる絆を描いた時代劇。監督は、98年に亡くなった黒澤明監督の助監督として活躍し、本作でデビューを飾った小泉堯史。脚本は、山本周五郎による短編を基にした「まあだだよ」の黒澤明の遺稿。 撮影には「まあだだよ」の上田正治があたり、また撮影協力として「まあだだよ」の斎藤孝雄が参加している。主演は、「まあだだよ」の寺尾聰と「生きたい」の宮崎美子。99年の第56回ヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞を受賞。

亨保時代。武芸の達人でありながら、人の好さが災いして仕官がかなわない武士・三沢伊兵衛とその妻・たよ。旅の途中のふたりは、長い大雨で河を渡ることが出来ず、ある宿場町に足止めされていた。ふたりが投宿する安宿には、同じように雨が上がるのを鬱々として待つ貧しい人々がいた。そんな彼らの心を和ませようと、伊兵衛は禁じられている賭試合で儲けた金で、酒や食べ物を彼らに振る舞う。翌日、長かった雨もようやくあがり、気分転換に表へ出かけた伊兵衛は若侍同士の果たし合いに遭遇する。危険を顧みず仲裁に入る伊兵衛。そんな彼の行いに感心した藩の城主・永井和泉守重明は、伊兵衛に剣術指南番の話を持ちかけた。ところが、頭の固い城の家老たちは猛反対。ひとまず御前試合で判断を下すことになるが、そこで伊兵衛は、自ら相手をすると申し出た重明を池に落とすという大失態をしてしまう。それから数日後、伊兵衛の元にやってきた家老は、賭試合を理由に彼の仕官の話を断った。だが、たよは夫が何のために賭試合をしたかも分からずに判断を下した彼らを木偶の坊と非難し、仕官の話を辞退するのだった。そして、再び旅に出る伊兵衛とたよ。ところがその後方には、ふたりを追って馬を駆る重明の姿があった…。

 

 寺尾聰さんが演じる剣豪の伊兵衛が実にいい。強いのに、それを誇示しない。いつもへりくだっていて、言葉も丁寧である。弱い人や、貧しい人への慮りを常に忘れない。しかし、これまでいくつかの藩に仕えたが、途中で失敗してしまう。中途退職というわけである。

 剣の戦い方が出色のできである。最初から勝とうと思っていないのである。負けて当たりまえであるというような心境である。「無欲」の心境を描いている。根底には、これまでの鍛錬があるから、そうなると技量と心境が一致していて、なるほどこれでは無敵であると感心していた。

 こういう彼に目をつけたのが、藩の城主、つまり殿様である。我が藩に剣道指南として来てくれないかとやるわけである。ところが、御前試合をやると誰もかなわない。この殿様、なかなか変わっていて、とうとうご自分が試合に登場してしまう。しかも槍である。木刀と槍では、槍の方が有利だと素人の愚生なんかは思ってしまうのだが、案の定、殿様は負けてしまう。しかも、吹っ飛ばされて池の中にボチャーンである。伊兵衛はここでもちょんぼをやってしまう。「大丈夫ですか?」と優しく殿を気遣う。これが、殿様の逆鱗に触れた。怒ってしまう。

 せっかくの就職がこれでダメになる。狭量な殿様だとも思ったが、(他にも賭け試合をやったということもマイナスになっている)こいつは、伊兵衛の人格にも原因がある。負けた方は、憐憫の情を示されると、それだけで腹が立つのだということを、伊兵衛は知らなかったのだ。余裕がありすぎると、狭量で余裕の無い愚生のような凡人はコンプレックスで実に情けなくなるわけである。当然である。負けているのだから。

 そんな体験は、愚生もこれまで何度もしてきた。柔道しかり。負けてばかりいた。仕事でも負けてばかりいた。ま、そこから立ち直ることが得意技であったからこれまで生きてこられたのであるが。ははははは。

 しかしである。あまりにも強い方が、内実は実に心優しい方であるということを知ることは、辛いものがある。人間の出来が違うからである。器が違う。賢い人は、そこから学ぶ。学べないのは、賢くないからである。愚生もそうだ。なかなかわからない。自分が情けないからである。

 でも、この映画はほのぼのとしたあたたかい心情を愚生のようなぼんくらに与えてくれる。あり得ないような話しではないかと言われる自称賢人もおられるだろう。それでも、愚生はこの映画から、生き延びるための智慧をいただいたような気がしたのである。こういう映画は珍しい。いつも、ふうううううっとため息をつくような、やりきれない思いをするからである。映画を見ると。先月見た「レ・ミゼラブル」もそうだ。やりきれない虚無を感じる。その反対側に愛があるのは、十分わかったのであるが。

 どんな状況になっても生き延びることである。それをモットーとしていきたい。あまり残された時間はないのだけれども。焦らず、じっくりとやりたいと思う。そんなことを考えた。いい映画であった。

 

 

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