毎日が修行の連続でありまするなぁ。感謝ですよん。感謝。
最近でもっとも参考になった書籍の文章では、「嫌いな奴とは会うな」であった。これはいろんな本にも書かれているが、気がつかなかった。というのは、ボキにも固定観念があって、みんな仲良く美しくというのが一番良いことだと思っていたからである。
だから嫌いな奴とは会わなくても良いというのは、ある意味発想の転換であった。
それにそういうヤカラは、ボキに悪い見本を示してくれる。ラッキーなのだ。こういうことをしてはいけないという教えでもある。実に先生みたいなもんである。アリガタイと思っていれば良いのである。
さらにある。
それは「上品に生きる」ということであった。少なくとも上品なフリをしていくことである。もっとも、ボキ如き人間が上品に生きることが難しいのは十分分かっている。しかしである。「フリ」をしているのなら、そりゃ出来る。
わははっはははっはははっははははっははっははは。
なんでそんなことを思うようになったかというと、最近ちょっとしたトラブルを抱えていたからである。内容は書けない。ふざけた話で、ボキはたいへんにハラが立ったのである。しかも、9対2であった。2の方がボキ。これじゃあまるで恐喝ではないか。セクハラもパワハラも、受け手がそう感じたなら成立するんだと聞いたことがあるが、恐喝もそう感じたなら即110番をすることだ。
しぶといボキは、ちゃんと録音していたけどねぇ。相手の罵詈雑言も、ボキの発言も。油断も隙もあったもんじゃないというこってすよん。
アホとはつきあうな。
演技でも良いから上品に生きる。
これである。ボキの最近の課題は。
どうせワルクチは言われるのである。下品なアホからは。だから無理して会っている必要も無いのである。無理して会っていたら、それこそライオンの前にしゃしゃり出る野ウサギである。喰われるように出ていったらオシマイである。
そんな無理はしないこっちゃよ。
ワルクチ言っているアホは、自分の言葉の毒で自死してしまうのがオチである。そんなもん、触らぬ神に祟り無しである。
ボキにはボキの人生があるのだ。
悪役レスラーみたいな人間と会っていても合掌することである。感謝して感謝して感謝ばかりやってやることである。
新聞配達して大学の学部を卒業した。あれも感謝である。修行になっていたのである。ありがたいことである。今、同じ事ができるかとなったら出来ないからだ。
苦しみは、オノレを向上させてくれるのだ。
アリガタイ限りである。
今朝も4時30分に起きて、8000歩以上歩いてきた。Metsである。
今日は、Gymも図書館も休館である。
さ、昼寝しようっと。
他にやることもねぇから。
(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v