チョイ聞き)内田樹×平川克美『たぶん月刊「はなし半分」8月号』 blog.goo.ne.jp/tym943/e/06aec…
インド仏教学? Ngoマインド大学院(NMS)=NGO MIND SCHOOL blog.goo.ne.jp/tym943/e/47264…
生殖年齢を過ぎれば、その後の人生はまさに「付録」
老化ということの始まりはいつからなのだろうか。
こんなことを考え... blog.goo.ne.jp/tym943/e/4d0c3…
【政治】アメリカに対する安倍晋三の行動メカニズム【内田樹】 blog.goo.ne.jp/tym943/e/49775…
日本のワールドカップの熱狂と日本の戦争時の雰囲気は同じ【内田樹 名越康文】 blog.goo.ne.jp/tym943/e/14b5d…
僧 舞 ・・・ 金順子 blog.goo.ne.jp/tym943/e/6bdb1…
第54回民俗芸能大会 双盤念仏 blog.goo.ne.jp/tym943/e/21ccc…
民俗芸能にとって音楽とは何か ~『日本民俗芸能採譜集』作成の軌跡~ blog.goo.ne.jp/tym943/e/66e31…
自民、年金改革案を了承 物価上昇まで抑制繰り越し - Infoseek ニュース fb.me/1PnzMtEog
【京都・みそ汁の恩返し】亀岡市保津町の風習。牛松山に鎮座する金比羅神が幼少時、食事はみそ汁だけという生活を強いられ、保津のキツネからご飯をもらっていたという言い伝えから、キツネの月命日である毎月10日は感謝を込めてみそ汁を飲まない。 pic.twitter.com/a0eH455js0
竹内研の徳冨君はISSCCでアジアの学生発表に与えられるSilk road awardを受賞。論文が高く評価されたのに加え、中大の学生がISSCCで発表するのが初めてだからのよう。ISSCCでは学生発表といえば普通は博士学生だから、修士1年で発表するのは最年少でしょう。
【貉の御所】南陽市松沢。昔の人が住んでいた洞窟にいつしか貉が住み着き、月の良い晩にはそこで貉が30匹も40匹も踊っていたと伝えられる。洞窟は山まで続いており、洞窟の入り口で木を燃やせば山の峰から煙が出ると言った。
万葉集の本を出そうとしたらバッグの中に酸っぱい梅干しの袋。江の電のホームで疲労感に襲われてクエン酸の補給にと買ったもの。お陰で疲労回復。即効性あってその後は元気に動き回りました。
石位寺薬師三尊像:奈良県にある融通念仏宗の寺院。白鳳期の制作である。日本における石仏は、584年に百済の鹿深臣が弥勒石仏を持ち運んだのが最初とされる。石仏は木造仏と違い、経年劣化が少ないのが特徴。pic.twitter.com/9EmDVxDWML
【茨城・牛久大仏・修正会】<大晦日~元旦>牛久大仏にて行われるカウントダウン。「10.9.8.南.無.阿.弥.陀.ぶ.つ」の掛け声とともに約千発のカウントダウン花火が打ち上げられ、レーザーの光で牛久大仏が七色にライトアップされる。 pic.twitter.com/0a6XtjMGv5
歴史の総体を裁きながら、しかも歴史の終末をしるしづける戦争そのものに対しても外部的であることで、終末論的なものは、それぞれの瞬間それ自体において、その瞬間各々の十全な意味を回復させる。つまり、一切の事案は、時が満ちて審理に付されていることになるのである。-全体性と無限-
キリスト教によって、強い人間は、典型的に排斥されるべきもの、「極悪人」となった。キリスト教は全ての弱者、賤者、出来損ないの味方に与し、強い生命が持っている自己保存本能に抗議することを己の理想としてきたのだった。-反キリスト-
ああ、病になって幸せだなあ。私をもっと尊い境涯に生かすために、今までの生き方の間違いを根本主体が教えてくださるために、この悩みがあるんだな。この悩みでの生き方の間違いを根本主体が教えてくださるために、この悩みがあるんだな… bit.ly/1gFsclo
目白の野上書店さんの白水社フェア、売行好調とのことで、3月いっぱいまで延長していただけることになりました!『ライ麦』ほか名著ぞろいの白水Uブックスと文庫クセジュが皆様をお待ちしております。 tokyo-shoten.or.jp/shop/tokyo/3056 pic.twitter.com/UVkShMpgYw
『地方史研究』総目録がエクセルでダウンロードできるようになっています。これは、ciniiや国会図書館サーチでも記事が収録されていないと思います。歴史クラスタ(とくに日本史か)はぜひチェックされたし。chihoshi.jp/soumokuroku.ht…
『本居宣長』(中公新書)。賀茂真淵との学問的なやりとりを読むと、理性的に思考する国学の近代性におどろく。いっぽう秋成との論争では、宣長のことばの激しさというか、きたなさにげんなりすることも。