おもしろし、たのし、なぜなら西郷隆盛のドラマだからである。こんな番組をまたまたやってくれたNHKに感謝である。最近の大河ドラマは主人公がどうにもセコイと思わざるを得なかったから。千葉県の登場人物では、ドラマになりそうな大人物はいないだろうけど。
NHK大河ドラマ「西郷どん」を見た。第一回である。タノシミにしていた。なぜなら、西郷隆盛だからである。ファンだからだ。参考文献もボキの家にはかなりある。仕事をしていた時代にはリーダーのあり方とかという視点でもって、文献を熟読していたからである。
ドラマは西郷隆盛の幼少期をあつかっていた。これが良かった。実に良かった。
何が良かったかというと、薩摩の教育システムである。郷中教育のことである。
郷中とは、薩摩の島津義弘が起源である。郷中教育とはその郷中の中で行われた教育である。その後、島津忠良が完成させた47首の「日新公いろは歌」や、新納忠元の作成した以下の「二才咄格式定目」を教育の根幹としたのだそうな。
一.第一武道を嗜むべき事
一.兼ねて士の格式油断なく穿儀致すべき事
一.万一用事に付きて咄外の人に参会致し候はゞ用事相済み次第早速罷帰り長座致す間敷事
一.咄相中何色によらず、入魂に申合わせ候儀肝要たるべき事
一.朋党中無作法の過言互いに申し懸けず専ら古風を守るべき事
一.咄相中誰人にても他所に差越候節その場に於て相分かち難き儀到来致し候節は、幾度も相中得と穿儀致し越度之無き様相働くべき事
一.第一は虚言など申さざる儀士道の本意に候条、専らその旨を相守るべき事
一.山坂の達者は心懸くべき事
一.二才と申す者は、落鬢を斬り、大りはをとり候事にては之無き候 諸事武辺を心懸け心底忠孝之道に背かざる事第一の二才と申す物にて候 此儀は咄外の人絶えて知らざる事にて候
右条々堅固に相守るべし もしこの旨に相背き候はゞ二才と言ふべからず 軍神摩利支天八幡大菩薩 武運の冥加尽き果つべき儀(Wikiから引用)
どうだろうか?
今の教育にも通じるところがあると感じるのはボキだけだろうか。でも、現代教育が失ったものもずいぶんある。「一.山坂の達者は心懸くべき事」などというのは、まさにその代表であろう。山坂にさしかかると、現代教育は挫折させまいとこころ配る。そりゃ甘やかし以外のなにものでもない。山坂に出会ってもナニクソと頑張ってもいいのじゃよ。
それに今日から新学期のようである。現代学校が失ったものを実現したのが、郷中教育であったのではないのか。文武共にある教育である。
文だけを追求しているのが現代教育ではないのかとも思う。武の方も重要である。柔道とか剣道である。
それに薩摩の剣道は特異である。示現流である。あれは、現代剣道のような面小手胴というような部分がない。ひたすら、ぶったたくだけである。単調な動きではあるが、なかなかである。舐めたらアカンのである。
「一. 第一は虚言など申さざる儀士道の本意に候条、専らその旨を相守るべき事」というのも良い。「士」というのは、武士のことだけを言っているのではない。文官も含まれているそうな。西部邁先生によると。Youtubeに出ていらしてそう言っていたから間違いない。本人がそう言われたのだから。虚言なんぞやっていたら、そりゃぁ本分にもとる。人間失格である。
それにしてもタノシミである。
この大河ドラマの進展が。
もっとある。
第一回の冒頭シーンで上野の西郷隆盛像が披露された時に、奥方様の西郷糸さんが、「これは違う。こういうヒトでは無い」と言われた場面からスタートしている。このことは、ボキですら知っていたから、NHKに喝采である。よくやってくれたと思う。
奥方様を制止したのが、西郷従道である。これもまた楽しい。
これからどんな風に展開していくのか、実にタノシミである。
今日は今朝から九十九里浜からの海鳴りが凄い音を立てている。まるでジエット機の騒音のようである。
大河ドラマのスタートにふさわしい。
(=゜ω゜)ノ