と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

松井秀喜引退セレモニー 

2017年10月09日 08時40分22秒 | とーま君の流儀2017

良い挨拶ですなぁ。

暗記してやっているのかもしれないけど、話っぷりが良い。

たいしたもんである。

 

松井秀喜引退セレモニー

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挨拶ひとつまともにできなくて、どうするのかねぇ・・・・マジに

2017年10月09日 08時34分04秒 | とーま君の流儀2017

挨拶は人間のレベルを知るには、実に良いモノである。

 

 

昨日の党首討論を見ていて、思ったことがある。

それは、意地悪なほとんどいじめに近いマスコミの質問に冷静になっている党首たちの応対辞令ぶりの見事さにである。つまり、マスコミの徴発は、党首達を怒らせて「本音」を引き出すのが目的だからだ。しかし、そんな徴発にはなかなか乗らないのが円熟した政治家である。たいしたもんである。かっとならないのだから。

学校教育なら、このいじめっぷりはマスコミの格好の餌食になる。そういうものを取り上げてメシを食っているマスコミ屋さんたちのゲスな質問に苦笑していた。

そもそもが、ご自分がエラそうにしている。マスコミの方がである。政治家ではない。

その実態には、仕事をしていたときにまったくいろいろ経験させていただいた。ありがたいかぎりであった。こんな程度かとも思ったけど。

なんでこんなことを書き出したかというと、昨日辟易したからである。

孫の保育園大運動会にジイジとして参加してきたからである。玉入れ競争(年長児との対決)にも出てきたし(@^▽^@)。

で、開会式で市会議員の大センセたちがやってきたのである。ご挨拶をしてくださったのである。

ところがである。相手は保育園児だということを忘れていた。なんだかとてつもなく難しいことをのたもうたのである。

笑った。

相手を考えていない。聞いていない。当たり前である。

対象が保護者だから、つまらない挨拶をやってしまう。

ワンパターンなのである。

思考過程がである。

 

思うに、人間のレベルは挨拶でわかる。冠婚葬祭でもって、つまらない挨拶しかできないようでは、お里が知れる。古本チェーンで一冊108円で売っているような挨拶本マニュアルを丸写ししたのではないのかと思うような方々も多い。

原稿を見ながらやっている挨拶なんか、時間の無駄である。聞くに値しない。

なにやっているんだろうかと思う。ましてや、結婚式なんかで新郎が最後に挨拶しているときもあるが、あれをメモを見ながらやっていたんじゃ話にならない。

親族代表もそう。職場の上司の挨拶もそう。

ワンパターンが一番良く無い。

挨拶というのは、「聞く方の時間を奪っている」からである。感謝して相手の時間を使わせていただいていることに気がつかないといけない。

すくなくともボキはそう思っているのだ。

そういう意味で、野球の松井秀喜氏には教えられることがたくさんある。

すばらしいのである。

内容がである。

しかもメモがない。

こういう人を天才というのである。

マジに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松井秀喜★日本球界での最終打席と別れの挨拶・・・

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10月8日(日)のつぶやき

2017年10月09日 05時54分49秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/