ジュリエットオスカー634受信ブログ

ラ・テ受信雑記他・私の得意ジャンルでの情報を発信します。このサイトは個人的な趣味により制作されています。

沖縄のラテ局歴史

2010年05月15日 20時15分34秒 | 時事
最近は普天間基地問題で話題もちきり。
テレビなどでも「海兵隊」に関する解説が
多いですね。

「海兵隊」の使命や性質から考えると
米が極東アジア地区に目を光らせるためには
沖縄からの基地撤退というのは
残念ながら、相当難しいと思います。

先ほどNHK出版の「20世紀放送史 下巻」を読み直していたが、
沖縄の本土復帰と放送という項目を見つけた。

琉球放送(RBC)はもともと米軍政府が設立。
コールサインも米にならったもので、AKAR。
NHKのラジオ番組も中継放送していた。
このAKARは琉球大学構内に移転コールサインは
KSARに変わる。

沖縄タイムズは54年10月琉球放送株式会社を設立。
KSARの経営を引き受ける。55年9月に英語放送局
KSBKを開局させる。
琉球放送が米の介入を断ち切り、自由を勝ち取るのは
KSARを買い取る58年10月である。

沖縄放送協会OHKという局もあった。
先島(宮古・八重山)で67年12月に業務開始。
こちらもNHKのニュースはテープを運搬しての放送のため
朝のニュースが正午に正午のニュースが夜に流れるという
ものだったらしい。
OHKは68年12月に沖縄本島で中央放送局を開局。

59年11月に沖縄テレビが、60年7月にはラジオ沖縄が
放送を開始している。

72年5月15日、沖縄が本土に復帰。
琉球放送KSARはJORR
沖縄テレビKSDW-TVがJOOF-TV
ラジオ沖縄KSDTはJOXRに
コールサインも改まることになる。

沖縄唯一の公共放送OHK・KSGBは
NHKに継承され、NHK沖縄放送局となり
コールサインもJOAP-TV
ETVにはJOAD-TVのコールサインが与えられることになる。

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