自分の置かれている状況を客観的に見つめるのって難しい
レッスンの時のように集中できる環境で、自己を見つめることは出来ても
日常の自分以外の時間の流れに意識が、引きずられて行くようで
一度に幾つもの事をこなしたりは出来ずに、気持ちが消耗していくような
沈んで行く感覚にちょっと抵抗したりして、
あれっ?愛とか感謝とかの気持ちが減って来てるんちゃうん?
と、気付かされて強引に「私は恵まれている!皆にこの毎日に感謝すべきやっ‼」
なんて、自分の気持ちの置き所まで曖昧に押し流そうてしていたら、
ヴィパサナ瞑想でお世話になった真由美さんから、私が「愛の人」だとメッセージが…
10日間の沈黙の修行中、言葉を交わさなくても
あんなに、暖かい愛のオーラを発していた真由美さんからそんな言葉を頂いて
今年の私の目標「与えて 与えて 与えまくるっ!」
「たとえ、その想いが完成されていなくても与え続ける
マザー・テレサや仏陀の言葉に後押しされて、立派な事を掲げてたやん!
思い出したよ。
私には実は愛とか感謝とか、そんなもの無いんじゃないかと思ってたけど
だから、自分の愛が目減りしているんじゃないかって
本物の愛は枯渇しない。
もしかしたら、愛って与えるものでも、与えられるものでもないのかもね
ずっと、自分の中にあって
こんな風に誰かに、何かに気付かされて
本当に感謝出来るものなんやね。
ぼぅ~っとしていたり、忙しさに流されて見失いがちやけど
しっかりと目線を定めて、目に見えるものを見つめて
そして、静かに自分の心を見つめて
確かめる。
そこに、愛はあるか?