TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

花の森でクリンソウその2

2024年06月16日 | 旅日記

6月6日、花の森四十八滝野草園を散策したときの続きです。クリンソウを眺めながらお昼御飯のお弁当をいただいた後、時計回りで園内を回ってみることにしました。

散策路のあちらこちらでクリンソウが咲いていた光景を見歩きました。これだけ咲いている光景は今まで見たことがなかった光景でした。

コウホネが咲いていました。

山道なので昇り道が続いていました。

菖蒲が咲いていました。

つぼみ状態のササユリを一株だけ見掛けました。6月中旬頃からササユリが咲き出してくるようですが、この日はまだ咲いているササユリを見掛けませんでした。ササユリは約2万本、アジサイは約5000本植えられているようなので、6月中旬の今の時期は咲いているのかもしれないですね。

ほぼ一周歩いてきました。元来た通路を歩いて出口に向かって歩いて行きました。

オダマキ

アカモノ

ヤマツツジ

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ロザンベリー多和田その2

2024年06月16日 | 旅日記

6月12日、ロザンベリー多和田に行ってきたときの続きです。ローザンベリー・マナーという建物の中に入ってみました。

入口付近のアジサイの色付きがとてもきれいでした。

自動演奏されていました。

外は非常に暑かったけれど、中は冷房が効いていて快適でしたので少しだけ休憩しました。

外に出てこの通路をまっすぐ歩いて行くとローザンベリーミルキー鉄道の乗り場がありますが、次の発車時刻までまだ時間があったので、イングリッシュガーデンを歩いて散策してみました。

歩いて来た通路をもう一度引き返しました。

全体的には園内のバラは終盤を迎えていたのも多かったですが、まだきれいに咲いていたバラもたくさん残ってました。

キッチンガーデンで咲いていた花々を見歩きました。

キッチンガーデンを見歩いてさらに進んで行きました。

ローズガーデン

牡丹とアイリスの庭を少し見歩きました。

池のところまで歩いてきました。このまま池の回りを一周でき、入場口まで歩いて行くことができます。

少しだけ歩いて先に進みました。

グラスガーデン

アジアンローズガーデン

このまま進んで池を一周するとミルキー鉄道が発車する時間に間に合わなくなったら籠るのでこの付近で引き返し、乗り場までゆっくり歩いて行きました。

クラフト体験工房がありました。

中を覗いてみました。

いろいろなクラフト作りが楽しめる場所でした。

バーベキューができる場所もありました。バーベキューをされていた方々が何組かおられ、美味しそうな匂いが漂っていました。

ひつじのショーンのパン作りが体験できるパン作り体験工房がありました。中を少し覗くとパン作りをされていたのが見えました。こちらの場所からすぐのところにローザンベリー鉄道ミルキーウェイの乗り場がありました。ここまでやって来るとまだ発車時間の20分前でした。

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ディア・ファミリー

2024年06月16日 | 映画鑑賞日記

6月14日、梅田にある映画館でこの日公開初日だった映画『ディア・ファミリー』を見に行きました。

この映画は、幼い頃に心臓疾患で余命10年と宣告された娘のために人工心臓の開発に挑んだ東海メディカルプロダクツ筒井宣政氏とその家族の実話を基に描かれた作品です。主人公の坪井宣政は大泉洋さん、その妻・陽子は菅野美穂さん、心臓に先天的な疾患を抱えていた娘・佳美は福本莉子さん、佳美の姉の奈美は川栄李奈さん、佳美の妹の寿美は新井美羽さんが演じておられました。

医師から佳美が余命10年と宣告され、小さな町工場を営んでいた坪井宣政とその妻陽子は、絶望に打ちひしがれてしまいますが、陽子の後押しもあり、何もしない10年より不可能に挑む10年を選択し、医療機器開発ではずぶの素人だった宣政を動かし、家族全員、ともに協力してくれる人たちと人工心臓の開発に懸命に立ち向かって行く姿が描かれて行きます。最初のほうのシーンで、知識やノウハウを学ぶために、坪井が大学の講義に潜り込んだり、本を読んで研究したり、有識者に頭を下げ、資金を提供したり、人工心臓を開発するために前途多難の道程において絶えず凄まじい愛のエネルギーを醸し出しながら進んで行く姿が映し出されて行きました。愛する娘佳美の命を救いたいという一心で、人工心臓を作るために何十年も掛けて取り組んで行く坪井とその家族たちの真剣な姿と家族愛が時を追って描かれて行きましたが、時は待ってくれませんでした。たとえ人工心臓が完成したとしても佳美の完治は難しいと新たに医師に宣告されてしまいます。人工心臓の開発にともに取り組んでいた研究医たちも研究終了を余儀なくされてしまいます。打ちひしがれる坪井と家族たちでしたが、佳美が宣政に語った言葉で、さらに立ち上がって行く強くて逞しい坪井の姿が描かれて行きました。佳美が語った言葉を佳美の永劫の願いだと受け止め、カテーテルの開発に取り組んで行く姿が後半では描かれて行きました。

この映画では坪井たち家族が何度も絶望に打ちひしがれて行くシーンが何回も随時挿入されていました。その絶望感をもクリアするようなシーンが挿入されていたシーンが印象的でした。佳美が作文風に「家の家族はあきらめが悪いのです。」と自ら書いた日記を読むシーンです。この映画の根底に潜んでいた確固たる信念「あきらめない」ことの大切さはこの映画の主題のひとつだったような気がします。親が娘を思う、娘が親を思う家族愛もこの映画の大切な主題のひとつでしょうが、家族愛の奥に潜むこのあきらめなかった確固たる信念はなかなか真似できないような立派な決意だったと思います。坪井の努力や道のりを見て来た周りの人々の心を動かしたようなあきらめなかった精神は多くの人々の心に届き行動に繋がり、世界で17万人もの人々の命を救ったバルーンカテーテルの開発に繋がって行ったのを見るとなおさらそう思いました。何かを成し遂げた後、「次はどうする?」とさらに前向きに取り組んで行こうとする姿勢は人が生きて行く上でのお手本になる基本的な姿勢であることを暗に教えてくれていたようにも思いました。オススメの映画です。

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明日を綴る写真館

2024年06月16日 | 映画鑑賞日記

6月11日、映画『明日を綴る写真館』を見に行ってきました。昔、岡崎由紀さんがバスガイド役のドラマでバスの運転手さんの役を平泉さんがされてたのを見たことがあり、そのドラマで初めて平泉さんを知りました。いろいろな役をして来られた平泉成さんが初主役を務められたとテレビで知ってどんな映画なんだろう見てみたいなあと思ってました。

この映画は愛知県の岡崎で写真館を営んでいる鮫島(平泉成さん)の下に東京で売れっ子の写真家として仕事をしていた太一(佐野晶哉さん)が写真館にやって来ます。太一は鮫島の写真から音を感じ打ちひしがれ、弟子にして欲しいと懇願し、鮫島の下で修業を重ねたいと思ってはるばる東京から岡崎までやって来たのでした。太一が子供の頃、見た桜をバックにして撮影された写真と同じ思いを感じ、その写真が誰が撮影したのかずっとわからなかったけれど、その写真から感じた同じものを鮫島の写真から感じたからでもありました。鮫島の写真館で修行していくうち、写真館にやって来た町の人々と出会います。遺影を撮影してもらいに来た牧(佐藤浩市さん)の思い出を引き出して遺影を撮影する仕事を請け負ったり、町でケーキ屋さんを営む杉田親娘(田中健さんと咲貴さん)と仲良くなり、ケーキ屋さんの経営難を助けたり、鮫島の妻・桜(市毛良枝さん)とも次第に親密になって行きました。また、太一の母親(黒木瞳さん)と父親(高橋克典さん)は太一が子供のときに離婚していたのですが両親との距離を縮めて行く様や鮫島とその息子(嘉島陸さん)の親子関係を修復していく様も織り交ぜながらそれぞれ親子の関係に焦点を当てながらストーリーは進んで行きます。

この映画は、写真撮影という仕事を通してその仕事の真髄や暮らしぶりが穏やかに優しく描かれていた作品だった気がします。主役は太一役の佐野さんかもと思うようなシーンが目立っていましたけれど、鮫島が写真撮影の仕事で培ってきた経験から自然に発せられている言葉の数々や写真1枚1枚に掛ける思いが若い太一では物語れないような多くの大切な言葉をところどころで語っておられたシーンがたくさん出てきていたのを振り返ると、目に見えない奥深さや深淵をしっかり演じ切っておられたのは平泉さんでしたし、この映画ではなくてはならないシーンやセリフを見る人の心に植え付けておられたのはやっぱり平泉さんだったなあと思いました。写真1枚1枚に潜んでいる人々の思い入れや写真を撮影するときに被写体を通して自分を映しているんだという言葉を投げ掛けられていたシーン、思い出を辿りたいけれどその一瞬しか映してくれていない思い出の一かけらの写真の大切さを自ら行動で示しておられたシーンなど平泉さんの演技が光っていたシーンが多かったです。

見終えると優しい気持ちや元気をもらえた気がしました。写真を仕事にしている人々の写真に掛ける思いや熱意が伝わってきたいい映画だったと思います。

鮫島も太一もニコンのカメラで撮影されていたのが印象に残りました。赤井英和さんのラーメン屋さんや病院のベットで写真を見たいと伏せていた美保純さんが出演されていたのも印象に残りました。

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6月15日

2024年06月16日 | ひとりごと

昨日・6月15日の午前中、友達のお父様が亡くなられたので、葬儀に参列しました。友達が喪主をされていました。もっと多くの方々が参列しておられるのかなと思っていたら、自分以外では友達の妹さんや友達のお母様、お孫さんなどのご親戚の方々だけが参列されてました。約1時間、葬儀が取り行われ、お花を御棺にお入れして、斎場で火葬される車で葬儀場を旅立たれたのを見届け葬儀場を後にしました。斎場に向かわなかったのは遠い親戚に当たられていた方と私だけになり、その方と二人で駅に向かって歩いて行きました。途中、お昼前だったこともあり、葬儀社の近くにあったお店でその方としばらく世間話をすることになりました。香典辞退されていたのを二人とも知らなかったことや、この日が友引だったことをこのときに知りました。お葬式が友引に行われたのにこのときに初めて気が付きました。今までに参列してきた葬儀はいずれも友引の日が回避されていたので友引にされたのだとわかった途端に参列されていた方々の中でご親戚以外の人は自分だけだったから次は私の番かもしれないなあと相当気にしてしまいました。友引に葬儀を執り行われたことを友達に聴けそうにないし、なんかわだかまりが残ってしまったかななどと変に気にしている自分がやけに小心者にも思えて帰宅したらどっと疲れ果ててしまってました。その気分を一掃するために好きなケーキを買ってきて思う存分いただいて友引きショックから立ち直ろうとしました。父のときも母のときも葬儀は友引を回避してもらったので友引葬儀は自分の中ではあり得なかったけれど、何もなかったようにこれから友達と接することはちょっと難しくなったかなとかいろいろ考えているうちにこんな複雑な気分になったのがちょっとしんどいですが、友引だったことを早く記憶から消し去りたいです。やっぱり縁起が悪いと言われている日は避けたほうがいいと個人的には思いましたけれど、本来は迷信だったりするでしょうし最近は友引に葬儀をすることを気にしない方々も多くなってきたということは頭ではよくわかってますし、暦を見なかった自分も悪かったと反省しています。気にしたらずっと気になるので早く忘れようと思います。気にしなかったらいいだけの話なのですが、ものすごく気にしてしまっていた小心者だった自分を発見した日になりました。

葬儀後、初めて葬儀でお会いした自分より5つくらい年上の友達の遠い親戚の男性の方と会話して、緊張せずに話ができた自分を発見しました。今の年齢より10歳くらい若かったら怖気ついてたかもと思うと時は流れていたし、歳を重ねていたのだなあと思った日でもありました。

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