ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

阿須賀神社

2012-01-26 05:00:00 | 田舎

補陀洛山寺は新しくできた那智勝浦新宮道路への入口を少し越えたところにありますし、三輪崎へも昼食をとりに行ったので、新宮へは新しい道路は使わず42号線を走り続けました。神倉神社はカーナビにも載っていて、新宮高校前という信号を左折せよと言い、すぐに狭い道を右折するような案内をします。

ナビの言う通りに右折しようとすると、1台しか通れんような狭い道で、向こうから車が来るし、きっとその車は42号線の方に曲がるんだろうから、その位置で待っているわけにはいかず、通り越してUターンです。辺りを見渡してもこんなところでは駐車場が無いし、先に何処かへ車を置いてから探そうと思って、42号線まで戻りましたが、適当な駐車場は見つかりません。

速玉大社まで行ったけど、そんなところへ車を置いたら、遠すぎて便利が悪い。一方、阿須賀神社へも行きたかったのにナビで調べても出てきません。新宮なんてどういう地理なのかもよく知らないし、あちこちと走り回ってスーパーの駐車場が空いていたのでそこに停めたのですが、42号線まで歩いていくと随分遠く感じて、また車を取りに行って、42号線沿いのスーパーの駐車場が空いていたので(先に通った時は満車だった)、そこに停めて探しに行きました。

             

ナビの言った通りの道を歩くと、全然神社らしきものはありません。山側への道は行き止まりです。仕方なく42号線まで戻って、あそこを右折するんやから、もう一つ南の信号(裁判所南)を左折して、また左折したら同じとこらへんへ辿り着くんではないかと思い、その考え通りに歩いていったら神社の前へ出ましたやん!駐車場もあるし・・・でももう3時を回っています。583段もある階段を昇り降りしていたら何時になるか分かれへんから、もう帰ろうと思ったのでした。

次の日は日曜日、土曜日よりも雲が低くて憂鬱な気分でしたが、釣りをするつもりも無いのでまた阿須賀神社と神倉神社へ行くことにしましたが、2回も行ったらガソリンがようけ要るなぁと高いガソリン、低い賃金に腹が立ってきます。

                     

ナビは阿須賀神社でヒットしないので、その近くにあるという新宮歴史民俗資料館で調べたらヒットしたので、場所が分かっている神倉神社は後回しにして、先に資料館の方へ行ったのでしたが、神社と資料館は隣同士、駐車場も同じです。何故かしら、私の車のナビはもう少し先の場所を案内していました。

             

神武天皇聖跡熊野神邑顕彰碑、日本書紀には神武が狭野(佐野)を越えて熊野神邑に到り、旦(すなわち)天磐盾に登るとあり、この辺りを熊野神邑と呼んでいた頃に神武が通ったということなのか、でも天皇を顕彰するなどと大逸れたことをする人もいるのですね。

拝殿の後ろにある山は蓬莱山。

                     

徐福伝説のあるところは全国各地にあるようですが、新宮もその一つですね。黒い石に刻まれた漢文は徐福を讃える詩だそうです。

『先生薬を採りて未だ曾て回らず 故国の山河幾度か埃さる 今日一香聊か遠きに寄す 老僧も亦為に秦を避けて来る』と彫られています。

境内の隅には徐福の宮なるものも祀られています。

             

秦の始皇帝が徐福に命じて探させた不老長寿の薬、徐福が探し当てたのがこのテンダイウヤクの木だという伝説があるそうですが、テンダイウヤクは享保年間に中国から伝わったのですから、そんな話は通用しません。

                     

これがテンダイウヤクの木ですが、クスノキ科となっていますから、やはり薬に用いられたのですね。

テンダイウヤクの木より子安之社と書かれた矢印が気になると思います。

             

なのでわざわざ奥まで行って撮ってきました。

                     

なんか日本の神社の石像というより、西洋のマリアの像のようなイメージではないでしょうか。

             

再び出口へ、今年の干支の出水口がある手水鉢、市指定の有形民俗文化財となっています。新宮第二代城主が1631年(寛永8年)に寄贈したもの、一枚の花崗岩を削り貫いて造ってあります。

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