『おじさんはなぜ時代小説が好きか』という本の感想文の中で山田風太郎の『八犬傳』を読んでみたいのだが、書店に行っても売ってないと述べたことがありました。今は大きな書店に行くと、読みたい本の置き場所などが寸時に判るPCを設置してあって、きっとその検索履歴などを調べて、新たに並べる本を決めてるのかと思う節があります。この八犬傳も最初に探したときは検索しても無かったのですが、GWが終わってからジュンク堂へ行くと時代小説を集めた棚に置かれていたのです。
小学校へ入る前に滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読んでみたことも書きましたが、きっと面白くなくて途中で止めてしまったと思います。孝・信・義・忠・仁・智・礼・悌と言っても何のことやらサッパリ解らない子供のことですから、作者の意図するものが読めず、最初からいやになったんでしょうね。でも信乃や毛野というような名前はおぼろげながらも覚えていました。八つの珠に纏わる儒学的なことは飛ばして読めば、小さい頃でも読めたかも知れません。
さて山田風太郎の『八犬傳』、冒頭安房の国・滝田城に篭城する里見家は食糧も底をつき、自決を待つだけの窮地においやられていました。その年、害虫による不作で年貢を取り立ててなかったからで、上総の国の朝夷が数年前に大不作になった折には5千俵の米を救援したので、今度はこちらから救援を願い出たところ、これ幸いと館山城主・安西景連が攻めかかってきたのでした。
死を待つばかりの城内で犬の八房に城主・里見義実が敵将・景連の首を獲ってきたなら、伏姫を娶らそうと言ってしまったのが発端、水盃をあげて死への決意を示したその時、八房は景連の首を咥えて戻ってきたのでした。
山田風太郎の『八犬傳』はこの足利義政の頃の話を【虚】とし、執筆前にそのストーリーを馬琴が葛飾北斎に聞いて貰う場面を【実】の世界として、江戸の安政期の出来事を織り交ぜながら、話が進んでいきます。この北斎との会話も実に面白い、馬琴は謹直な儒学人、その反対に北斎は貧乏ながら粋な天才肌で、正反対な人間像ながら馬琴は北斎に一目置かざるを得ないように描いています。
途中から北斎は富岳の絵を描くために旅に出てしまい、ストーリーの聞き役は渡辺登(崋山)、息子の嫁のお路と変わっていきますが、馬琴はとうとう28年の歳月をかけて『南総里見八犬伝』を完成させるのです。
終盤に犬江親兵衛なる子供が8番目の犬士として藩主の危機を救うのですが、この場面が相当に痛快でした。
実はこの『忍法八犬伝』、山田風太郎の『八犬傳』が無かったので、こちらの本が言われているものなのかと思って買ってみたのですが、どうやら筋違い。同じ名前は出てくるものの構想が全く違います。犬の八房は8人の犬士に一匹づつ付いているし、犬士は出現しては相手を倒して死んでしまいます。
結局、この『忍法八犬伝』の解説に『八犬傳』が廣済堂出版から出ていることを知り、改めて書店を探した次第でした。この『忍法八犬伝』も面白かったものの、『八犬傳』の虚と実の構成の見事さは群を抜くものです。
これはジュンク堂がコマーシャルの載ったカバーということで、当時『忍法八犬伝』に着けてくれたものですが、誰の写真か判るでしょうか?
こちらは左半分、つまり本人の右半分ですが、これで誰だか判る人もいるんじゃないですかね。
ハイ、「芸術は爆発だ!!」でした。
今は山田風太郎『忍法帖』シリーズに嵌っています。『八犬傳』の後、『甲賀忍法帖』『忍法忠臣蔵』『伊賀忍法帖』と番号順に進んでいます。
小学校へ入る前に滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読んでみたことも書きましたが、きっと面白くなくて途中で止めてしまったと思います。孝・信・義・忠・仁・智・礼・悌と言っても何のことやらサッパリ解らない子供のことですから、作者の意図するものが読めず、最初からいやになったんでしょうね。でも信乃や毛野というような名前はおぼろげながらも覚えていました。八つの珠に纏わる儒学的なことは飛ばして読めば、小さい頃でも読めたかも知れません。
さて山田風太郎の『八犬傳』、冒頭安房の国・滝田城に篭城する里見家は食糧も底をつき、自決を待つだけの窮地においやられていました。その年、害虫による不作で年貢を取り立ててなかったからで、上総の国の朝夷が数年前に大不作になった折には5千俵の米を救援したので、今度はこちらから救援を願い出たところ、これ幸いと館山城主・安西景連が攻めかかってきたのでした。
死を待つばかりの城内で犬の八房に城主・里見義実が敵将・景連の首を獲ってきたなら、伏姫を娶らそうと言ってしまったのが発端、水盃をあげて死への決意を示したその時、八房は景連の首を咥えて戻ってきたのでした。
山田風太郎の『八犬傳』はこの足利義政の頃の話を【虚】とし、執筆前にそのストーリーを馬琴が葛飾北斎に聞いて貰う場面を【実】の世界として、江戸の安政期の出来事を織り交ぜながら、話が進んでいきます。この北斎との会話も実に面白い、馬琴は謹直な儒学人、その反対に北斎は貧乏ながら粋な天才肌で、正反対な人間像ながら馬琴は北斎に一目置かざるを得ないように描いています。
途中から北斎は富岳の絵を描くために旅に出てしまい、ストーリーの聞き役は渡辺登(崋山)、息子の嫁のお路と変わっていきますが、馬琴はとうとう28年の歳月をかけて『南総里見八犬伝』を完成させるのです。
終盤に犬江親兵衛なる子供が8番目の犬士として藩主の危機を救うのですが、この場面が相当に痛快でした。
実はこの『忍法八犬伝』、山田風太郎の『八犬傳』が無かったので、こちらの本が言われているものなのかと思って買ってみたのですが、どうやら筋違い。同じ名前は出てくるものの構想が全く違います。犬の八房は8人の犬士に一匹づつ付いているし、犬士は出現しては相手を倒して死んでしまいます。
結局、この『忍法八犬伝』の解説に『八犬傳』が廣済堂出版から出ていることを知り、改めて書店を探した次第でした。この『忍法八犬伝』も面白かったものの、『八犬傳』の虚と実の構成の見事さは群を抜くものです。
これはジュンク堂がコマーシャルの載ったカバーということで、当時『忍法八犬伝』に着けてくれたものですが、誰の写真か判るでしょうか?
こちらは左半分、つまり本人の右半分ですが、これで誰だか判る人もいるんじゃないですかね。
ハイ、「芸術は爆発だ!!」でした。
今は山田風太郎『忍法帖』シリーズに嵌っています。『八犬傳』の後、『甲賀忍法帖』『忍法忠臣蔵』『伊賀忍法帖』と番号順に進んでいます。