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南宋寺へ向かったのが11時半、普段なら昼食を始めようとする時間なので、食事を先にするか、見学を先にするか迷ったのですが、結局南宋寺の方に行ってしまいました。前回は宿院頓宮から南へ走ったら、たまたま南宋寺の前に出たので入ったのでしたが、今回は何処に有るのか分かっていたので、大道筋を突っ切って、御陵前の交差点を左折したのでした。この道からは南宋寺の裏側に出ると思っていたら、途中で道が無くなってしまって、結局は何度も曲がって正面に出たのでした。でも今回は北門から入ったのではなく、駐車場の方へ回って、そこから入ったのでした。この方が南宋寺にずっと近いのです。前回は北門から入り、南宋寺の山門まで10分近く使っていました。
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ここは唐門、前回来た時の反対側です。
拝観料400円を払おうとすると、ボランティアの案内の人が居て、「今、先の団体が行ったとこやから、すぐ行ったら追い着くんで、早よ行き」と言われましたが、私は案内など必要としませんが、どんな話をするのか聞きたかったので、指差される方へ急ぎました。でも総勢20名ほどが所狭しと立ち尽くしていて、自由に見学できる雰囲気は有りません。おまけに写真を撮ろうとすると、人が入ってしまうので、一呼吸置いてから次の順路に進んだのでした。
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こちらは東照宮跡碑、文政年間に建築された東照宮は、空襲で焼失、昭和42年になって碑が建立されました。唐門から一直線に通じ、20mほど奥に建っています。
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前回撮らなかった唐門の瓦、確かに三つ葉葵の紋が描かれています。碑の徳川家(康)の文字が見えます。観音さんの奥には開山堂跡があり、家康の亡骸は一旦この下に埋められたという伝説が残っているのです。
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坐雲亭、山内最古の建築物で、中には入れませんが、秀忠・家光両将軍が相次いでやって来たことを記した板額が掛かっているとか。
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夢界堂、南宋寺再興に尽力した、堺奉行・喜多見若狭守の位牌堂だとか。
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ここからは堺所縁の著名な人の墓があちら・こちらに雑然と配置されています。雑然とは私の感想であって、ちゃんと計算されているのかも知れませんが・・・。先ずは津田家の墓、それから千家一門(裏・表・武者小路)の墓、その中の中心に千利休の墓が有りました。
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左は武野紹鴎の墓、中央の墓は何故かこの墓の説明が有りません。右が三好長慶一族の墓。
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続いて三好家一族の墓、人がたくさん居たので横からの写真と、居なくなってから正面の写真を撮りました。半井家の墓、半井って「なからい」と読むとは、NHKのお天気姉さんが出てくるまで知らなかったのですが、最近見かけないですね。
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ここから立ち入り禁止の札、禁止だからではなく、何故かこの道を進んでみたい気がします。
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枯山水まで帰ってきました。古田織部好みとされる庭ですが、大きな岩が無いのでアクセントが無いように思われます。方丈と一緒に撮りたかったのですが、見学の皆さん、縁側に座って動きよらんのです。前回来た時は誰も居なかったのに、今回は私の居合わせた時に2組の団体が見学に訪れていたのです。来ていた人が「なんそうじ」と言っていましたが、このお寺は「なんしゅうじ」です。
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