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南禅寺の境内を散策し終えたのが3時半ごろ、コンサートまではまだまだ時間がありますが、もう足がダルイ、また一休みしたくなりますが、国際交流会館で休憩するのも「イマイチやなぁ」と思いながら南禅寺前の交差点まで戻って来ました。南禅寺前の交差点と国際交流会館との間には橋が掛かっており、橋の上からは水ではなく線路が見えるので、電線が無いので電車が走っているわけでも無く、線路には草が群がって生えているので「廃線跡やなぁ」とは分かったのですが、何のための線路なのか別に深くも考えずに歩いていました。
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橋の上に立つと右の景色があれば、左の景色も有るわけで、反対側はどうなっているのかと、戻って来た時は反対側の歩道を歩いたのでした。
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見ると、そう遠くないところの池に噴水が音をたてて噴出しています。よく見ると川原に降りられるように階段も造られていたので、重い足をひきずって、降りてみることにしました。
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降りてみると線路はここまで、何と中途半端な・・・駅があった様子もありません。池に近づいて行くと、水草が繁殖しています。あの琵琶湖の生態系を脅かしている水草が覆っているのでしょうか。岸の反対側に渡って池を見ると、それは池ではなく運河のようになっていたのでした。
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運河の水はこの排出口から勢いよく流れ出しているのです。後で分かったのですが、これが琵琶湖疏水です。琵琶湖疏水は首都が東京に移り、寂れかけた京都を復興するため、水車動力・舟運・灌漑・防火・井泉・衛生などを勘案し、明治18年に着工されたのでした。5年の年月をかけて完成した疏水は取水口から鴨川落合まで11,1km、就労者数四百万人、125万円有余という莫大な資金を費やしたものでした。今の125万円なら私でも持っていますが、当時としては相当な額、1円が1万円と換算すれば125億円ということになります。
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鴨川落合という所が何処なのか私には見当も付きませんが、運河は聖護院寺内町辺りで鴨川に合流しています。
排出口のすぐ横には機械らしきものを展示してあるスペースが有り、入っていくと右の写真が水車、日本のあちらこちらで見かける木製のものとは違い、あくまで機械という感じを受けます。真ん中の写真は発電機、疏水建設中に渡米視察した技師らは、水力発電に利用できると考え、利用方法に発電を加えたのでした。
発電に利用したお陰で京都には電灯が点り、市電が走るなど京都の発展に大きく寄与したと言われます。ここでインクラインという言葉があちらこちらの案内板に頻繁に出てくるのですが、どうも意味がよく飲み込めません。インクのラインなのか、インとクラインの造語なのか、インクラとインの造語なのかと外国語に詳しくない私はいろいろと考えてしまったのでした。
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インクラインとは荷物用のケーブルカーのことだそうで、ここ蹴上にあるのは高低差のある水路で船を往復させるため、蹴上~南禅寺船溜りまでの傾斜区間に軌道を敷き、船を載せる台車をワイヤーで引っ張ったものということが解りました。つまりインクラインとはinclineであり、動詞の傾斜させる、名詞の傾斜・勾配という意味だったのです。
どうやら私は琵琶湖疏水記念館に裏から入ってしまったようで、時間が経つにつれて表へ表へと歩きますが、来館者が少ないので何の抵抗もありません。疲れたので途中疎水についてのビデオを流していたので、座って見ながら休憩しました。
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疏水記念館で40分ほど費やし、国際交流会館へと戻りますが、橋の袂にあったお地蔵さんの祠をパチリ、南禅寺や哲学の道、蹴上や山科への道標もあります。
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交流会館まで戻ったのに、目的のコンサートを観ずに帰ったのは前述のとおりですが、蹴上から地下鉄に乗ろうか、三条まで歩こうかとまたまた悩みましたが、結局お金が勿体ないので歩くことにしました。蹴上の交差点まで戻り、三条通りへ出ます。来た時は何か判らなかったこれはインクラインで使われた『船受枠』と呼ばれた台車です。木製の舟も載せられています。
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これは関西電力の蹴上発電所、中に入れないのでよく解らないし、使われているのかも判断できませんが、日本最初だった水力発電所なのかも知れません。
平安神宮の大鳥居や知恩院への参道を左右に見ながら一路京阪三条へ歩きます。大阪へ戻るには蹴上からなら京阪電車が一番近いのですが、特急に乗っても1時間かかります。JRなら35分、この違いは疲れた体には大きい、三条駅自体終点=始点ではないので、座れなかったのが余計に時間がかかっているように感じられるのです。
忘れていました、トップの写真は川原への降り口手前にあった『巨大な輝き』と称するモニュメント、水門を開ける力強い男と溢れ出る命の水、琵琶湖からの永遠の恵みに感謝する意味があるそうです。美浜・高浜・大飯原発から至近距離にある琵琶湖、果たして永遠の恵みとして存在し続けることが出来るのでしょうか。
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