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京都市国際交流会館で40分ほど休憩して、南禅寺へ行ってみることに、若いころに1度や2度は訪れていると思うのですが、どんなお寺だったのかどうも思い出せません。界隈で湯豆腐を食べたことがあったのですが、どんな味だったかも忘れてしまっていて、べらぼうに高かったことだけは覚えています。ですから“おじん合唱団”の開演前に夕食を済ませたかったのですが、近くにあるのは湯豆腐を食べさせる店ばかり、どうしてもここで湯豆腐を食べようとは思わなかったのです。
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南禅寺前の交差点を渡り、参道を歩きます。写真には人があまり写ってはいませんが、平日の火曜日だというのに結構観光客が歩いています。御陵から蹴上への道は歩いている人などはおらず、大違いでした。
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左手に道路を隔てて神社の祠らしきものがありましたが、わざわざ行ってみる興味が湧いてきません。手前の碑には“歴史的風土特別保存地区”と書かれ、案内板には「バスの通行に支障があるので、この付近に駐車しないでください」と恰も周りにある有料駐車場に入れさせるようなことが書かれていました。この周りの駐車場は2時間以内1000円という設定、私が南禅寺の境内に居た30分程度でも1000円ですから、高いとしか言いようがありません。
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南禅寺の入口になる中門、左にある立派な門は勅使門です。どうせなら勅使門から入りたいものです。中門から入ると南禅寺の中心である三門や法堂の正面には行かないのです。
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南禅寺では三門と呼んでいるようですが、一般的に山門と言われる寺院を代表する門です。南禅寺が三門と呼ぶのは仏道修行で悟りに至るために通過しなければならない三つの門(空、無相、無作)の解脱門を略した表現だそうです。私は門を潜っただけですが、上層の五鳳楼に上がるにはお金が要るようです。
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南禅寺の三門は別名『天下竜門』とも呼ばれ、日本三大門の一つに数えられているとか、後の二門は何処にあるのでしょうね。
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三門を潜ると正面に法堂(最初の写真)、左の写真が法堂の方から見た三門、真ん中は青空に映える屋根、右は法堂の右側の様子、外国の女の人が石段に座ってずっと本を読んでいました。この法堂、創建当時のものは応仁の乱で焼失、すぐに再建されますが、豊臣秀頼の寄進により大改築され、明治26年の大火で焼失してしまいます。明治42年再建のものが現在のものなのでそんなに古い建物ではありません。
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赤レンガで造られたアーチ型の橋は、この上を琵琶湖からの疏水が流れています。南禅寺ではこの水道橋が古刹になじんでいると言いますが、私にはどうしてもアンマッチに見えるのですが・・・
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境内にはモミジかカエデか、紅葉の美しい木が多く、まだまだ紅葉には至っていませんが、1本だけ赤くなりかけている木がありました。水道橋の奥へ歩くと亀山法皇ゆかりの南禅院があるのですが、興味が無かったので行きませんでした。
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傍には疎水から引いた水ではないのでしょうが、滝のようなものを拵えていました。こちらの方が古刹には似合うと思います。
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左の写真が本坊、ここから方丈へと入っていくのですが、入場料を払わなければならないので私はパス、入ってみる価値はありそうですが、隣の大玄関だけ写して帰路に就きました。
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置かれてそう年月も経ってないような石碑、“この門を入れば涼風おのづから”と彫られています。作者の杉洞って誰でしょう?
この碑から戻っていく道と交差する道があり、そこには『哲学の道』との標識がありました。その道を辿れば地図上では鹿ケ谷通りとあり、平家物語を思い起こす名前に出会います。後白河一派が平氏打倒を企てたという鹿ケ谷の陰謀はこの近くで練られたのです。でも当時はまだ南禅寺は存在しません。
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