ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

おじさんはなぜ時代小説が好きか

2011-04-15 05:00:00 | 読書
おじさんはなぜ時代小説が好きか・・・私も時代小説は好きですが、『じ』と『さ』の間に『い』が入ってしまいそうな歳になってしまいました。

確かに何故好きなのか、考えてみたいですよね。

本は、山本周五郎、吉川英治、司馬遼太郎、藤沢周平、山田風太郎、長谷川伸等既に亡くなった作家を中心に解説が進みます。夫々の作家の出自を紹介、主な作品を巡ってこの本の著者の思いが語られます。そして時代小説、或いは歴史小説と書かれた当時とを照合しながら、何故好きなのかを解き明かそうとしているように思えるのですが、私より4歳年上の著者は、その青春時代を過ごしたであろう頃の歴史の風景を自嘲しているように思えて仕方ありません。

読んでいて山本周五郎には結構厳しい、学歴を詐称しているとか、時代の捉え方が間違っているとか、同じような間違いをしていても藤沢周平には甘いように感じます。だからなのか、どうなのか私は今、初めて山本周五郎に挑戦してみようと『ながい坂』を読み始めました。

逆に司馬遼太郎を絶賛に次ぐ絶賛をしているのには空いた口が塞がらん私です。そんなに凄い人なのかと思わずにはおれません。いや凄い人なんだろうとは思うけど、私は好きじゃないのですよね、司馬さんを。とりあげている作品は『燃えよ剣』と『新撰組血風録』と『坂の上の雲』、書かれた時代の流れに逆らって、逆の立場を支持していると言いますが、じゃあ『竜馬がゆく』はどうなんだと聞いてみたいんだな。私も若い頃はこの『燃えよ剣』も『新撰組血風録』も『竜馬がゆく』も心躍らせて読んだけど、今の私とはスタンスが違うんです。

                  

読みたいけど、何から読めばいいか判らないほど出版されている本が多くあって読む気がしない山田風太郎の本、ここでは『八犬伝』を採り上げて解説されています。小学校へ入学する前に貸し本屋で借りたことのある『南総里見八犬伝』は滝沢馬琴の著、その焼き直しらしいのですが、唯一読んだ氏の小説『魔性転生』がとても面白いと思った私は『八犬伝』を読むべく本屋で探したのですが、どうやら売ってないらしい、是が非でも読むなら古本屋で探すしかないのかも知れません。

             

六章まで数人の作家について述べた後、最後の七章でこの本のタイトル『おじさんはなぜ時代小説が好きか』の解明に入るのですが、ここでは森鴎外について述べられます。大正デモクラシーが謳歌される時代に江戸時代の封建社会のモラルを採り上げた鴎外は、当時のいわば反動だったと言えますが、この本の作者はそこから見えてくるものがあると言います。

そこでおそらく高校時分に読んだことがあるであろう『阿部一族』を買って読み直してみました。

                  

革命期にはその前の時代を否定したがる傾向があるが、その前の時代にも賛美されるモラルはあるのだと作者は言います。勿論否定はしませんが、ここで鴎外の『阿部一族』『堺事件』という切腹をテーマにした作品を採り上げるのは何か理由があったのでしょうか。

『阿部一族』は殿様との相性が原因で、殉死することを許されなかったために起こる風聞のために一族総出で立て篭もり、全滅すると言う話。『堺事件』は無許可で上陸したフランス兵を留めさせる際に発砲し、死傷者を出したことを理由にフランス側から死罪を突きつけられ、当の発砲した本人達はお上のためにしたことなのだから、犯した罪は償うとしても切腹をさせろという話。切腹の現場ではフランス人が怖がって逃げたため、その切腹は途中で中止になったので、死なずに済んだ人たちが、これまた困ったという今では考えられないモラルのノンフィクションです。

私などは読んでいて、鴎外はこのような切腹と言う時代錯誤を嘲笑するために書いたのではないかと思ったりもするのですが、作者は切腹自体を賛美するのではないけれど、このような江戸期のモラルに現代には無い何かを求めようとしてるのかなぁ。

野放図な自由はいけないという作者、今政治の場で顕著な新自由主義は、余計な規制は取っ払えと言う金儲け本位の自由を求めているわけだけど、自由について述べるなら、現に今私達が困っているこの新自由主義にまで言及してもらいたかった。
私とは立場も意見も異なるけれど、読んでいてよう勉強してはる人やなぁとは思いました。

でも時代小説を好きなのは、おじさんだけに限ったことではありますまい。

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