日切地蔵より北には行けないので元来た道を引き返さければならないのですが、2号線に向かって歩くとすぐ右側(西側)にも祠がありました。丁度夙川には堰がある辺りになり、川のせせらぎが遠く聞こえるのですが、時としてJRの電車の轟音にかき消されてしまいます。
夙川不動明王とあり、真ん中にはリレーフ状のお不動さん、その右に焔に包まれたお不動さんの立像、左側にはお地蔵さんが何体か群れています。
まさか彫ったのは子供ではありますまいが、子供が書いたお不動さんのような稚拙さ、でもそこがまた信仰の対象になるのでしょう。
説明によると、このお不動さんは安政年間に造られ、剣谷にあったそうです。剣谷って何処よって思って地図を見ると、2年前の今頃に通っていた甲陽園の近く、神呪寺から鷲林寺へと歩いた日がありました。その鷲林寺の近くに剣谷というバス停があり、まさしく夙川を遡ればその辺りへと辿り着くことが出来ます。
しかし昭和12年の甲陽大池決壊の際に苦楽園川筋の橋下に埋まっていたというのは、位置関係も不明な上に説明も不十分で、ここに祀った経緯も理解できるような内容ではありません。
公園入口からのプロムナード、遠く正面に夙川日切地蔵のお堂があり、その手前左側にこのお不動さんがあります。
夙川不動明王とあり、真ん中にはリレーフ状のお不動さん、その右に焔に包まれたお不動さんの立像、左側にはお地蔵さんが何体か群れています。
まさか彫ったのは子供ではありますまいが、子供が書いたお不動さんのような稚拙さ、でもそこがまた信仰の対象になるのでしょう。
説明によると、このお不動さんは安政年間に造られ、剣谷にあったそうです。剣谷って何処よって思って地図を見ると、2年前の今頃に通っていた甲陽園の近く、神呪寺から鷲林寺へと歩いた日がありました。その鷲林寺の近くに剣谷というバス停があり、まさしく夙川を遡ればその辺りへと辿り着くことが出来ます。
しかし昭和12年の甲陽大池決壊の際に苦楽園川筋の橋下に埋まっていたというのは、位置関係も不明な上に説明も不十分で、ここに祀った経緯も理解できるような内容ではありません。
公園入口からのプロムナード、遠く正面に夙川日切地蔵のお堂があり、その手前左側にこのお不動さんがあります。
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