ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

熊野本宮大社

2012-12-07 05:00:00 | 

大斉原から5分ほどで本宮大社の鳥居の前に、そして神倉神社から比べると随分楽な階段を登って、神門前に到着です。この本宮大社へは何度も来たことがあって、4年前の3月に一度紹介していますから、今回は前回気が付かなかった、或いは紹介していなかったものを取り上げます。当時から比べると綴っている内容が複雑さを増しているかと思うのですが、それも働いていないので時間が有り余っているからだと思います。

             

先ずは神門ですが、改修中です。せっかく九州から来てもらったお二人にこのような玄関口を見せるにあたっては甚だ面目次第もなく、心苦しいのではありますが、まぁ何十年に一度の改修なのでしょうから、その僅かな期間に偶然来れたと思えば、考え方も180度変わって、ラッキー!などと思えるかも知れません。でも神門の改修を見に来たわけではありませんもんね。

             

こじんまりした石塔がありますが、立札には和泉式部の詩が二首、“晴れやらぬ身に浮雲のたなびきて 月の障りとなるどかなしき”本当に和泉式部が熊野詣に来たのかどうかは分かっていませんが、熊野の聖地に入る前に不浄な身に陥ったので、神の坐す本宮には入れず残念だと詠んでいます。その夜熊野権現が夢に現れてもう一首“もろともに塵にまじわる神なれば 月の障りも何かくるしき”と、そう返歌したので式部は参詣できたというわけだそうです。

             

元来、熊野詣の信仰は昨日綴った一遍上人が創始したと言われる時宗の念仏聖が広めたものであり(神道でも修験道でもなかった)、念仏聖は、熊野の神は男女や貴賤、浄不浄を問わないという熊野の神の有難さを和泉式部を担ぎ出して、話を作ったのでしょう。

             

また反対側には後鳥羽上皇の“はるばるとさかしき峰をわけ過ぎて おとなし川を今日みつるかな”の詩が記された碑があります。この熊野本宮大社は現在の地図で見ると熊野川と三越峠辺りを源流とし熊野川へと注ぐ音無川とに挟まれてありますが、音無川は小川であり後鳥羽上皇は中辺路からこの音無川沿いの道を通ったのではないかと推察するのです。更に昨日の大斉原では熊野坐神社は熊野川・音無川・岩田川が合流する中州にあったとされていましたが、岩田川と言う川は地図には見えず、見てきた限りでは中洲のような感じではありません。


             

後鳥羽上皇について調べてみると、高倉天皇は清盛と政争を続ける後白河法皇の第7皇子で母親は平滋子、二条・六条と二人の天皇を経て、天皇になり平徳子との間に後の安徳天皇を設けますが、平氏一族が安徳天皇を擁して京から落ち延びたので、天皇の居ない都に是非とも天皇をということで位に就いたのが高倉天皇の第4皇子の後鳥羽天皇です。当時、安徳と後鳥羽の二人の天皇が居たのですが、奇しくも異母兄弟の間柄だったのです。もう大河ドラマ『平清盛』も最終盤ですが、このところ展開が早過ぎて面白くないですね。

                       

八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている霊鳥ですが、今年の拝殿の前に有る幟には“強”の字が見えます。神社はこのお蔭でロンドンオリンピックでの活躍があったと自慢しているのですが、神さんが付いているなら優勝させよなと思うのですが、それは神さんを信じない者の戯言でしょうか。

             

境内にあった見慣れない黒いポスト、境内で売られている手漉き和紙(音無紙)で作ったハガキを境内で買って、心の籠った手書きのハガキをこのポストに入れてくださいと、大斉原の前の掲示板に書かれていました。普通のハガキだったらどうなるのか、音無紙のハガキは切手無しで投函できるのか、切手が要るなら境内でも売ってるのか等が疑問です。八咫烏の黒色を醸しだしたポストはユニークですが、急にハガキを出せと言われても、そう簡単には出そうと言う気にはなりません。

                       

この大樹は多羅葉(たらよう)の木と呼ばれているもの、インド原産の常緑樹、昔はこの葉の裏に針などで経文や手紙を書いたと言われ、ハガキ(葉書)の語源となったと立札に書いてありました。この樹があるので黒いポストを考案したのかも知れませんね。

             

社務所奥のモミジもきれいに紅葉していました。

熊野本宮大社は全国に3000ある熊野神社の総本宮、今年は久留米にある全国の水天宮の総本宮にも行って来ました。

                       

この樹は駐車場横にあったイチイガシ、本宮町の木だそうです。稲作が伝来するまではこの樹の実を食用としていたようです。昭和62年に本宮町の木として制定されたとのことですが、田辺市となった現在はどうなっているのでしょうか。

大斉原から熊野本宮大社、僅か1時間程度の散策でしたが、結構中身の濃い行程となりました。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
九州の (N田)
2012-12-07 10:25:02
熊野神社とは、スケールが違いすぎます、さすが総本山の貫録ですね。

あれいらい、階段を見ると(神倉神社の階段)が今も脳裏に浮かんできます。

八咫烏は、勝運の御利益があるんですね、八咫烏グッズを買えばよかったなと思ってます。
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お世話に (junno)
2012-12-09 17:57:31
今日は、昼からじっくり思い出しながら読んでます。
八咫烏を見たとき 韓流好きの私は 韓ドラの「朱蒙」や「太王四神記」に出てくる三足烏やん!とすぐ思いました。
勝運の御利益があるんですね。気弱な息子にお守り買ってあげればよかった・・
大鳥居はびっくり!でも、その奥の大斉原や周りの景色とは ミスマッチって感じです。妙に現代的で・・

花窟神社と神倉神社よかったですねぇ
花窟神社は、いきなり御神体の岩が現れた時は息を呑みました。あの、ユニークな綱!私の中では目新しかったですよ。
神倉神社は、あの石階段 口から心臓が飛び出るかと思うほどハードでした。
函館ナンバーのご夫婦らしき方ともお話できました。青森から陸地で来られたそうです。少し親しくなると ゴトビキ岩と神倉神社から見る絶景も 感激倍増です。

香梅堂のお菓子 美味しかったです。M子が
「エッ!これ意外とおいしい!」と、パクパク食べていました。
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訂正 (junno)
2012-12-09 18:02:35
あー!タイトルが「お世話に」で終わってる
すみません  「お世話になりました」  です!
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今回の (ぼんくら)
2012-12-09 20:23:19
旅行の記事は明日で終わりです。それを以ってN田君にも総括的なお返事をと思っていました。

詳しい心境はその時までお待ちください。
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