防己集落を後にすると次は大谷集落、県道38号線から右に脇道を入らねばなりませんが、気が付かず大谷隧道手前まで行き過ぎてしまいました。Googleの地図を見ると大谷会館という建物が載っているのですが、貰ったお散歩絵地図には大谷会館は有りません。逆にGoogleの地図には目的の稲荷神社は載っていないので、相関関係が分らないのです。でも大谷会館自体はすぐに見つけることが出来ました。
大谷会館の前に愚車を停めたのですが、目的の稲荷神社は何処なのか判らず、歩いて38号線の方へ戻ったのですが、それらしき鳥居さえ見えません。大谷の集落は川向こうに広がり、大蔵寺というお寺も絵地図には載っていたのですが、そちらに向かおうとは思いませんでした。
大谷会館まで戻り、会館前を通過するとすぐに山へ登る階段が有るのが見え、絵地図にも階段が描かれていたので、ここかも知れないと思い、少し登ると漢詩の碑が建っていましたが、字があまり高くない凸状で書かれており、よく読めませんでした。父母・・から始まる詩であったことは覚えています。昭和41年晩秋の建立なので、もうじき50年経ちますが、その頃なら大己小学校にも未だ生徒が通っていたのですから、もっと人が住んでいたんでしょう。
階段を登ると燈籠が有ったので神社に行けると確信し、山道を歩き、5分ぐらいで初めて鳥居に到達しました。
絵地図にはツガの大木が聳え立つと書かれていましたが、どれがツガの木なのかよく分かりません。それにしても粗末なお堂です。毎日参拝する人もいなくなってるのかも知れません。
参道を5分も歩くと聞くと大きな神社みたいですが、ホントに寂れた神社です。でもしっかりと狛犬が並んでいます。左の写真の石像は何を彫っているのか分りませんが、坂に置かれているので、随分傾いています。
14~5分で愚車まで帰ってきました。私が停めておいたところは大谷会館の前でしたが、その反対側にも店のようなものが有ったのですが、閉まっていました。ガラス戸から中を見るとスチール棚が見えましたが何も乗っていません。よくよく外観を見ていると図書館のようでした。こんなところにも図書館が有ったんだと妙に感心したのでした。
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