ここは灘区新在家南町の4丁目、その一角にモダンなお寺がありました。
古刹でないこういうお寺はパスなんですけどね。
和辻哲郎にしても土門拳にしても五木寛之にしても、古いお寺を巡っているでしょう。こういう風に鉄筋コンクリートで建てられても、仏教という感じがしなくて、新興宗教のようで、余計に気味が悪いのです。
でも遠目から立て札が見えたので、近寄ってみると・・・見事なソテツの木がありました。
ヤマタノオロチを連想してしまいます。対峙する私はヤマトタケルノミコトか?
『妙善寺のそてつ』と書いてある下は英語、その下が中国語、一番下が朝鮮語なのでしょうが、朝鮮語の妙善寺に相当する文字数が4つであるのが疑問です。
漢字文化は中国から朝鮮を経て日本に輸入された(もちろん直接中国→日本の場合もあったでしょう)のに、朝鮮は何故漢字を使わないのでしょうね。
朝鮮語がチンプンカンプンの私には、どう書いているのかも理解できません。朝鮮語は表意文字ではなく、表音文字なのでしょうか。でもひらがなで『みょうぜんじ』と書くと6文字、記されている朝鮮字は4つです。解らんなぁ。
裏側からみると、ヤマタノオロチには見えません。黒子が一所懸命沢山の首を支えているように見えます。
お堂の傍に鬼瓦のようなものが三方を睨んで、威嚇するように置いてありました。何を意味しているのか、よく解りませんね。
何故か鐘楼がとても新しく、吊ってある釣鐘と全くお似合いではありません。
この鐘楼といい、お堂とソテツといい、絶妙のアンバランス・・・褒めているのではありませんよ。
古刹でないこういうお寺はパスなんですけどね。
和辻哲郎にしても土門拳にしても五木寛之にしても、古いお寺を巡っているでしょう。こういう風に鉄筋コンクリートで建てられても、仏教という感じがしなくて、新興宗教のようで、余計に気味が悪いのです。
でも遠目から立て札が見えたので、近寄ってみると・・・見事なソテツの木がありました。
ヤマタノオロチを連想してしまいます。対峙する私はヤマトタケルノミコトか?
『妙善寺のそてつ』と書いてある下は英語、その下が中国語、一番下が朝鮮語なのでしょうが、朝鮮語の妙善寺に相当する文字数が4つであるのが疑問です。
漢字文化は中国から朝鮮を経て日本に輸入された(もちろん直接中国→日本の場合もあったでしょう)のに、朝鮮は何故漢字を使わないのでしょうね。
朝鮮語がチンプンカンプンの私には、どう書いているのかも理解できません。朝鮮語は表意文字ではなく、表音文字なのでしょうか。でもひらがなで『みょうぜんじ』と書くと6文字、記されている朝鮮字は4つです。解らんなぁ。
裏側からみると、ヤマタノオロチには見えません。黒子が一所懸命沢山の首を支えているように見えます。
お堂の傍に鬼瓦のようなものが三方を睨んで、威嚇するように置いてありました。何を意味しているのか、よく解りませんね。
何故か鐘楼がとても新しく、吊ってある釣鐘と全くお似合いではありません。
この鐘楼といい、お堂とソテツといい、絶妙のアンバランス・・・褒めているのではありませんよ。
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