ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

股ヶ池明神

2013-12-05 05:00:00 | 大阪にて

桃ヶ池公園の橋の一つに赤い鳥居へと続く橋があり、何処へ続くのか分からなかったのですが、何か珍しいものはないかと橋を渡ってみました。鳥居の扁額には股ヶ池明神の文字、この写真を見てピンと来た人もあるかも知れません。NHKの朝ドラ『てっぱん』でロケ地として全国放送されました。と言っても私は当時、朝ドラを見る習慣はありませんでした。

             

昨日綴ったように聖徳太子が桃ヶ池で大蛇を退治した話が残っているそうなのですが、退治した大蛇を浮島に穴を掘り大蛇を埋葬したのですが、その後も怪異が続いたので霊を鎮めるために『おろち塚』を造ったと言われており、それは昭和初期まで残っていたそうです。その『おろち塚』の北一丁の地に、1780年代になって角田某の夢に出た蛇霊を奉るために丸高・丸長両龍王を祀ったのがこの股ヶ池明神だと言われているのです。

                       

社の壁に掛けてあった板に『平成25年度のニュース』と題して、新聞の切り抜きが貼られていましたが、全てスポーツ関連のニュースばかり、それも殆どが野球関係なので、些か不満です。

               

この狭い境内には幾つもの石碑や石像が置かれていました。左のものは『股池改修記念碑』と書かれています。真ん中にはネコとタヌキが合わさったような顔の像に袈裟を着けたような姿の像です。左の碑には『おさき大神』と一つだけ書かれた石と『松天龍大神』と『豊姫大神』と二つの神の名が刻まれた石が並んでいました。

                        

境内があまりにも狭いので、さして大きくもない御神木のクスノキの全体が写りません。

             

反対側に降りて来ると同じように『股ヶ池明神』と書かれた扁額のある石の鳥居、どちらが表でどちらが裏かよく分かりませんが、こちらは周囲の道路に面しています。

       

周りにもいろんなものが並んでいます。左は股ヶ池地蔵、真ん中はその祠に納められていた石ですが、何も彫られていません。右には何も書かれていませんが、中央に置かれている石には白い蛇が描かれていました。

             

これは境内にあった『股池改修記念碑』の裏側、田邊町・大字北田辺・町民一同の文字が見えます。

股ヶ池明神は神仏習合の様相を色濃く残す神社で、不動明王や地蔵菩薩、聖徳太子や更には弘法大師まで祀られているそうです。神仏習合の思想は平安時代から始まっている(形式としては奈良・飛鳥時代からあった)ように思えるのですが、明治初期になって廃仏毀釈の運動が広がりました。何故、長い歴史を破って廃仏毀釈だったのか、国家としての信教を神道に統一するため、仏教との分離を目的としていたと習いましたが、貴重な文化財をたくさん失いましたし、失いかけたものも多数ありました。私は今の仏教人と神社に仕える人を比べてみると、戦争への態度が著しく違うと感じています。仏教関係の多くの人は戦争への道(例えば秘密保護法など)に反対の声を挙げますが、神社関係の人からは全くと言っていいほど何の声も聞こえてきません。国家として富国強兵を強める中で虐げられた仏教というのは、人を殺すということに反対の思想であったので、時の政府に疎んじられ廃仏毀釈に至ったのではないかと思うのです。

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