ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

大安寺

2013-02-18 05:00:00 | 大阪にて

北朝鮮が3回目となる核実験を強行しました。民主主義人民共和国と名付けられた国家で、今やアメリカでも削減に取り組もうとし、世界中の人民が懸念している核兵器を「どうや」と言わんばかりに(朝鮮語で「どうや」をどう書くか知りません)振り回す、民主主義のかけらも無い国家の有様におぞましいものを感じます。一方では餓死者が年間何万人も出ると言う国、経済は軍事に向けるべき状況ではないでしょう。金一族独裁国家とも言うべき北朝鮮、最高指導者が若すぎる感もあるし、金正恩なんかより吉本新喜劇の烏川耕一(金正恩に似ているとツッコまれてる)の方がなんぼか民主主義を知ってると思うのでマシかと思ってしまうのです。

いつぞやは大安寺に行きたいと思っていたことのある私、ナビの不具合で往馬大社と言う思わぬネタの拾いものをしたのですが、目標はあくまで南都七寺の一つである大安寺、南都七寺とは大安寺の他に興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺と少し離れた斑鳩にある法隆寺、法隆寺は南都から離れているので唐招提寺の方が南都七寺に相応しいと思うのですが・・・。

             

往馬大社から高速を経て30分ぐらいで大安寺に到着、もう10時前でした。朝出発した時は晴れていた空も時々雪が舞う曇り空に変わり、降雪を感じたのは今冬初めてのことでした。無料駐車場もあり、思ったより小じんまりしたお寺です。門も大々的ではありませんが、キラキラと菊の紋が輝いていました。

                       

大安寺は日本最初の官寺、聖徳太子が建立したと言われる熊凝精舎が始まりとされていますが、その後百済大寺、高市大寺、大官大寺と遷寺、百済も高市も地名ですが、大官大寺は現在の明日香村にあり、昭和初期ごろまで伽藍の礎石が露出していたらしく、その礎石は橿原神宮造営のために使われたそうです。当時から大官大寺の礎石として知られていたにも係わらず、よりによって神武を祀り、官幣大社である神社のために利用するなんて、何と言う暴挙でしょうか。橿原神宮側から断るなり、文化庁側から抗議の声が上がっても不思議ではありません。この時代の暗い部分が浮き彫りにされた事件なのかも知れません。

             

大官大寺を遷都に際して平城京に移築、東大寺・西大寺と並んで南大寺とも呼ばれていたとか、では北大寺は何処なのか?南都七寺で東大寺より北に建つ寺院はありません。

金曜日の午前10時、誰として参拝する人を見かけません。

             

本堂の左手奥に建つよく似た造りのお堂が二つ。右側のお堂には『嘶堂』と書かれていました。嘶は嘶く(いななく)という字であり、よく見ると馬頭観音が祀られているようでした。左側のお堂は御写経道場とも阿字観道場とも書かれていました。

             

二つのお堂の奥にも真新しいお堂があり、未だに内観の補修に対する募金が行われている護摩堂だと思います。

             

二つのお堂の前から振り返ると、さほど大きくもありませんが、竹林が目立ちます。

             

竹林の手前にも珍しい竹が植えられており、左が蘇芳竹、真ん中が孟宗金明竹。どちらも名前を記した立て札が立っていたので分かったのですが、本堂の左横に配置されています。

                       

竹林の入口、こちらは門の方からの入口です。

             

左が奥から帰って来た時に出会う入口、『美流孔塚』と書かれています。真ん中が中にあった碑、これが美流孔塚かと思ったのですが、どうやら違ったようです。右の写真に『いのちの碑』と区別してあり、美流孔(みるく)塚は乳癌治癒の祈願塚として撫でて祈願するよう書かれています。なので乳癌になど罹ろう筈の無い私には撫でる必要も無いので、何処にあるのか探しもしていません。

                       

これが『いのちの碑』、心臓病を支えるペースメーカーが埋め込まれているそうです。石工の手に拠るものでは無さそうな弱々しく彫られた“いのち”、よく見ないと彫りこまれていることすら判りません。

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