薬師寺を参拝(見学)し終えて、次はその北にある唐招提寺へ向かいますが、その前にふと私が親に連れられて薬師寺に来た小中学生の頃のことを思い出すと、きっと未だ伽藍など無くて、三重の塔があるばかりだったのかも知れません。何故だか高校卒業の頃に当時住職の高田好胤の本を読んでいます。タイトルは思い出せません。
南大門で入場料500円を払って(N田君の奥さんが払ってくれたのですが)、暫く歩くとすぐ金堂に突き当たります。入ってすぐに金堂だなんて、有名な割には狭い寺だななどと思っていたら順路は延々と続きました。
金堂の裏には講堂(金堂の後ろにチョットだけ写っています)、これは鑑真和尚が平城京から移築したものです。
唐招提寺は国宝や重文の建物が多く、中に入ることが出来ません。金堂は針金の網を張り巡らしてあり、外から仏さんを眺めなくてはなりません。
この校倉造りの建物は宝蔵、この南にも同じような校倉造りがあり、そちらは経堂、どちらも国宝で、校倉造りでは正倉院より古いものだそうです。
鑑真は日本国側の強い要請に応え、渡日を決意しますが5度も失敗、盲目にもなりながら決意から11年目6度目のトライにしてやっと来日を果たしたのでした。
これは御影堂(みえいどう)、鑑真和尚の坐像が納められ、東山魁夷画伯の障壁画が坐像を静かに囲んでいるといいますが、なかなか見ることは叶いません。毎年6月6日前後3日間だけ公開されるということです。
秋らしく紅葉したモミジがひと際目立ちますが、ここにも立ち入ることが出来ません。
暫くは北側の道を塀沿いに歩きます。無料なら散歩にはもってこいの道です。
北側の道が突き当たって南へと曲がったところに、ハス池がありました。ハスの花が咲く6~7月頃に来るのもいいのかもなぁ等と思っていたら・・・
ポツンと季節外れの菖蒲が咲いているではありませんか。これは珍しいと思うのですが、カメラの愛好家と見られる人が沢山来ているのに、皆目線が上ばかり見ています。この菖蒲を撮った人が何人いたでしょう。
こちらは境内西端にある戒壇、出家した人が正式の僧になるための受戒をする場所です。建物は江戸末期に焼失し、石段だけが残っています。
昼も近くなったので、そろそろ引き返さなくてはなりません。唐招提寺から薬師寺へと至る道、南の方を向いています。突き当たりに薬師寺の與楽門が見えていますが、その手前を右へ折れると西ノ京駅があります。
南大門で入場料500円を払って(N田君の奥さんが払ってくれたのですが)、暫く歩くとすぐ金堂に突き当たります。入ってすぐに金堂だなんて、有名な割には狭い寺だななどと思っていたら順路は延々と続きました。
金堂の裏には講堂(金堂の後ろにチョットだけ写っています)、これは鑑真和尚が平城京から移築したものです。
唐招提寺は国宝や重文の建物が多く、中に入ることが出来ません。金堂は針金の網を張り巡らしてあり、外から仏さんを眺めなくてはなりません。
この校倉造りの建物は宝蔵、この南にも同じような校倉造りがあり、そちらは経堂、どちらも国宝で、校倉造りでは正倉院より古いものだそうです。
鑑真は日本国側の強い要請に応え、渡日を決意しますが5度も失敗、盲目にもなりながら決意から11年目6度目のトライにしてやっと来日を果たしたのでした。
これは御影堂(みえいどう)、鑑真和尚の坐像が納められ、東山魁夷画伯の障壁画が坐像を静かに囲んでいるといいますが、なかなか見ることは叶いません。毎年6月6日前後3日間だけ公開されるということです。
秋らしく紅葉したモミジがひと際目立ちますが、ここにも立ち入ることが出来ません。
暫くは北側の道を塀沿いに歩きます。無料なら散歩にはもってこいの道です。
北側の道が突き当たって南へと曲がったところに、ハス池がありました。ハスの花が咲く6~7月頃に来るのもいいのかもなぁ等と思っていたら・・・
ポツンと季節外れの菖蒲が咲いているではありませんか。これは珍しいと思うのですが、カメラの愛好家と見られる人が沢山来ているのに、皆目線が上ばかり見ています。この菖蒲を撮った人が何人いたでしょう。
こちらは境内西端にある戒壇、出家した人が正式の僧になるための受戒をする場所です。建物は江戸末期に焼失し、石段だけが残っています。
昼も近くなったので、そろそろ引き返さなくてはなりません。唐招提寺から薬師寺へと至る道、南の方を向いています。突き当たりに薬師寺の與楽門が見えていますが、その手前を右へ折れると西ノ京駅があります。
庭(?)も美しく、全体的に見ごたえありましたね。菖蒲もラッキーでした。
絶対、また行きたいなぁ~