大安寺に近づくとあちらこちらと大安寺への案内看板が出ていたので、頼りないナビに頼らなくても大丈夫、私はどちらかというと先入観が強い人間なので、看板の先にこんもりとした森などが見えてくると、もうそこが目的地だとか思ってしまうのです。
フェンスに大安寺への矢印が無かったら、きっとその向こうにある森を目指したかも知れません。この矢印から大安寺までは1分もかかりません。この森は元石清水八幡宮の八幡神社だとか書かれていて、あまりよく飲み込めない表現だったので、余計に興味を惹かれて、大安寺を散歩した後行ってみることにしました。
田んぼの前の道を歩くと森の前で鳥居がありました。この道路、田んぼの中の道にしては車がよく通ります。
この八幡神社は大安寺の僧・行教が807年に宇佐八幡を遷し、大安寺の鎮守としたと伝えられているそうです。それだけでは腑に落ちないので調べてみると、石清水八幡宮のHPでは行教が宇佐八幡で宣託を受け石清水八幡宮を清和天皇に建立させたのが860年、その差は53年にもなり、疑問が生じます。元石清水八幡宮などウィキペディアには出ていないだろうと思ったところ、調べてみると有りました。そこでは行教が大安寺内の石清水房へ807年に鎮座させたのは同じで、その後859年に神託によって現の男山へ遷座させたとあり、男山の石清水八幡宮には行教が関与したことは書かれていません。現石清水八幡宮はそのことを否認しているとか、伊勢神宮と並ぶと言う大神宮の元宮が、このような小さな神社であることに納得できないのか、或いは屈辱的だと思っているのかも知れません。
森の中の道をまっすぐ歩くと、再び鳥居、その向こうに神社が見えてきました。神社の前に到着したのが最初の写真です。応神や神功を祀っているのは双方同じです。石清水八幡宮のHPに拠ると、全国八幡宮連合会には940社が集結、各県ごとにその神社の名前を紹介しているページがあったので、元石清水八幡宮を否定している現石清水八幡宮が載せているのか興味が湧いたのですが、クリックしても何の表示もされませんでした。
こちらは中門、室町時代に建てられたものが江戸時代初期に大きく改修され、現在に至っているというもの、組木などがそのまま残っていて、奈良市の重要文化財になっています。
中門の前庭に並ぶ燈籠、かなりの歴史を感じさせます。天明の年号が見えますから、240年ぐらい前のもの、八條村の地名も見えますが、どの辺りのものなのかは全く分かりません。
拝殿の前、八幡宮の神額がありますが、鳥居には何の文字も見えませんでした。建物に比べてかなり新しいものに見受けられます。独特の面白い狛犬の姿が本殿の前に置かれています。
何故か鳩の置物が物凄い数ありました。これが生きてるハトならヒッチコックの映画のようで、少々気味が悪いのですが、まぁ人形というより鳥形ですから怖くはありません。
本殿を斜め前から、拝殿の奥にある本殿は、全く見えなくしてある神社が多いのですが、ここは無防備です。いったいいくつあるのか勘定はしていませんが、やたらと燈籠が置かれています。
こちらは大安寺への道、まっすぐ歩くと突き当たりにあります。この辺りも旧大安寺の境内でした。
八幡神社と大安寺の間にあった広場に植えられた梅の木、和歌山の南部(みなべ)や田辺ではもう咲き誇っていますが、奈良ではまだ芽がかすかに出てきたばかりです。
実は私が歩いたのは、このブログで紹介したのと全く逆のコース、写真を反対から見ていったなら、私が歩いたコースと同じになります。鳥居から紹介した方が分かり易いと思ったのでした。
10時半ごろになって少し天気は回復してきました。右側が大安寺の方向です。