生駒は冬になると寒い所です。冬は寒いに決まっていますが、大阪などと比べるとかなり寒いのです。まぁいくら寒いと言っても、東北や北海道とは比べ物になりませんがね。いつぞやは夏だったか、長男の棲家に泊まった時は、朝方寒さで目が覚めたことがありました。今回は毛布と布団を掛けてもらって寝たので、一度も目が覚めず、いつもより遅くまで寝ていました。暑がりの私は自分の家では今はタオルケットで寝ています。夏などタオルケットを掛けるのもイヤなぐらいなのです。でもだんだん寒さが増してきて、そろそろ夏蒲団でも出そうかなと思いつつあります。
10月に四條畷歴史民俗資料館へ行った時、貰った資料の中に長男の住む田原地域にいくらかの遺跡があり、それを巡りたいとも考えていました。それを覚えていたのか長男は「一つ遺跡を見つけた」と言います。「田原城跡か?」と聞くと違うと言いますが、この地域では田原城があったことを知らずして、探索は無意味だとは思うのですが、連れて行ってくれると言うので車に乗って出かけました。
この地図を持っていたのではありません。持っていたのではあれば田原城跡へも行けたと思っています。行ったのはこの地図の⑧番、千光寺跡移築広場というもの、長男は何の脈絡も判らずここを見つけたのでしょうが、この地図を見ると道路の対面に千光寺跡があるのです。全然知らなかったので、本当の千光寺跡を訪れていません。
この地図では距離感があまり判りませんが、長男の家からは⑥の戎公園が最も近く、その後運動会の度に行っていた小学校(今年は中学校にも行った)があり、次に⑦の月泉寺があります。車でもチョット時間がかかったので歩くとかなりあると思うのですが、先ず行きたいと思っていた⑨の田原城跡は、この近くです。山地なので登ったり降ったりしなければならないので、地図上の道より距離がありますから、近くと言っても時間がかかるのかも知れません。地図ではこの広場を更に下って右折することになっていますが、おそらく山城でしょうからきっとまた登らないといけないのでしょう。しかし案内板には千光寺(田原城主一族の菩提寺)から、田原城が一望できたとありましたから、私が想像するほど高所にある城ではなさそうです。
実は千光寺跡には日本最古のキリシタン墓碑があるそうなのです。神道・仏教はもとより、イスラム教は勿論のこと、キリスト教など信じていない私ですが、日本最古のものと言われるそのようなものが、こんな人知れない田舎の一寺院跡にあるなんて、冥加なものではありませんか。
移築したものなのに何故囲いを施したのか理解できませんが、登って壊れたのか、故意に壊されたのか、ガラス(プラスチックだと思う)の破れた箇所がありました。2枚目の写真のブルーシートがそれですが、わざわざ囲いなど作る必要性があったのかどうか、税金の無駄遣いではないでしょうね。
長男の家は田原台1丁目のバス停の近くですが、逆方向へ行けば⑤の下田原天満宮や耳無地蔵がある④の法元寺があり、尚北へ30分歩けば磐船神社へも至ることが分かります。さも磐船神社を知ってるかのような書き方をしていますが、一度行ったことのある河内磐船の辺りではないかと推察しているのですが、違うかも知れませんね。