おはようございます。
V9は色々な要因が重なり達成された奇跡でした。監督、コーチ、フロント、代表者の管理面にその真の原因があり、全ての要因が絡み合い、極めて複雑です。
野球チームは団体競技のため複雑なシステムですが管理面のシステムはもっと複雑です。チームの運営は会社の管理と同じ、複雑です。部外者の話は一面の真実。私は分かり易く書けません。
管理システムの良し悪しの結果は先発投手と打順のシステムに現れ、勝率とその歴史に現われます。歴史を時系列に前期、中期、後期に分けると説明が分かり易くなります。
V9は3年毎にV1からV3を前期。1968年のV4からV6を中期。V7からV9を後期と考えられます。前期は金田が入団し、若い投手に良い影響を与えました。投手力の守の時代か。
中期は充実期。打撃陣も投手力も充実した絶頂期でした。ドジャース戦法を基本にし、ON絶頂期の巨人は向かう所敵なし。破の時代と言えそうです。
V7からV9は、四番の長嶋が衰え、王とわき役陣が活躍した離の時代。システム以上に選手の個性で優勝か。柴田、土井、高田選手が王と連携し得点力がありました。
私は商品企画の担当者でした。自分の感性でシナリオをまず作り、データでシナリオを検証するため、記事に記憶違いが多発します。気が付くと校正しています。済みません。
前回のV3の記事に誤りを見つけました。阪急の福本選手はV5の時に初めて対戦しました。前回の記事の終わりから2つ目の段落はV5の話の内容でした。
V4から新人の高田繁外野手がレフト。V9のポジションが固まりました。私のV9のイメージです。怪我やスランプ以外は変わらず、新人が伸びるチャンスはV5からありませんでした。絶頂時代の会社への就職は問題です。
高田選手はレフト線へのファールが多く、10球連続でライナーの惜しいファールを覚えています。でも3ボール2ストライクでファールで粘られると投手は大変。フォアボールならヒット以上にショック。投手にとって一番嫌なタイプでした。若い時のイチローもそうでした。
V10はできず、ゲーム差ゼロで2位に終わりました。長嶋が引退し、川上監督も退き、長嶋監督が誕生しました。優良企業の社長が引退し、引き継いだ社長がババを引くよくある話でした。
東大紛争時代、東大を応援に神宮球場に行き、明治の高田選手を見ました。彼は私の1歳下。浪商から明治。星野投手の1年先輩か。センターを守り、抜群の足と肩でした。星野の明治も強くても、法政が黄金期でした。
法政の中山正竹投手、田淵捕手、山本浩二、富田勝など全ナインがプロ並み。小柄の中山投手は六大学記録の48勝をあげ住金に。慶応も強く、6大学が強い時代でした。中日に行った井手先輩もなかなか勝てませんでした。
今日はここまでにします。