本質的に情報は誤りが多いことを昨日は言いました。さらに実は最近がさネタや自作自演のインチキ情報、悪のり情報、犯罪行為の情報が増えました。何故でしょう。情報量は出現頻度が少ないほど大きいため、価値がありえるわけですが、珍しい状況を自作しネットでばらまくとそれだけでアクセスが増え価値の高い情報を作成したと思えるからだと私は考えています。どんなに取り締まっても、犯罪映像をばらまくことをなくなせるものではありません。
そのような状況で善良な老若男女はどうしたら良いでしょう。私はその解の言葉が今日の主題の文言だと考えています。この言葉は故事成語でしょうが、私にとって特別の言葉です。私が尊敬する法医学者の先生が出版した本をサイン付きで私にくれた時、この言葉を書いてくれました。
情報の誤りをシャノン流で理解していた私は情報学は法医学と似ているのかもしれないと思いました。そこで数冊の法医学書に挑戦したわけです。一人では偏りがありますので、二人の法医学者の本を読んでみました。似たことを双方が書いてあり、基本は私が考えた情報学と法医学は同じだと信じられたのです。
尊敬している法医学者の先生の本の言葉をまず拝借します。法医学の鑑定とは原因と結果を客観的に結び付けることであり、あらゆる自然科学が鑑定にかかわるわけである、と冒頭にあります。形而上学すらも。ですから、鑑定は本質的に鑑定者の主観的な見方になり、別の科学的な分析によって補強されなければいけないとあります。鑑定は鑑識などと同じやや専門の臭いのある言葉ですが、分析の普通の言葉に近いとありました。私なら解析や思考、考察と言う言葉になるのかもしれません。
今日はここまでにします。