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三十六計逃げるに如かず

2012-08-13 08:47:47 | Weblog

 おはようございます。

 昨晩、たけしの有名な言葉、赤信号皆で渡れば怖くないを、考え、何故か、芥川の蜘蛛の糸を思い出してしまいました。不思議です。皆で糸にすがったのに、自分のことだけ考えるから仏様が救ってくれなかった。でも、昨晩、分からなくなりました。芥川は自己中の心を諭すために書いたのか、キリストや親鸞の教えに疑問があったのか、その外の狙いがあったのか。

 60年前、ゲーム機などなく、ブリキの電車は朝鮮戦争後。それまでカエルやトンボやセミが遊び相手でした。子供は生き物とじゃれあって遊んでいただけ。でも、相手は大変。結局、命を失いました。「飼うな、殺すことになる」と親にいわれていたのに、言うことを聞かず、生き物を捕まえては、遊ぶのが大好きでした。昔の犬のことも思い出しました。世話をすると言って無理に買ってもらった犬を粗末にあつかいました。蛇足ながら、今、罪滅ぼししていますが、できません。むしろ、世の中を教えてもらっています。機会があれば犬の話も書きたいと思っています。

 中学の低学年の頃だったと思いますが、姉の国語の宿題、蜘蛛の糸が話題になりました。姉は面白いと言っていました。母は鼻の方が面白い、それなら羅生門だ藪の中だ、などなど議論。私は蚊帳の外。夜、私も読んでみようと思い、父の本棚から芥川龍之介作品集を取り出し、掲載されていた短編を幾つか読みました。蜘蛛の糸は面白く読めました。それ以来だと思います。家の中に蜘蛛がいると、コップで捕まえ外に放してやっています。犬を散歩させているとき、道路の蟻を踏まないように心がけているようです。蜘蛛の糸にすがって生きないとダメな男だと学生時代から思っていたのでしょう。

 ザリガニは取っても持ち帰れません。子供にも川に放させています。川つりもできませんし、海外ツアーで釣りイベントに参加しても釣れませんでした。踊り食いなど気持ちが悪い。目の前で生きている生き物など、食せません。私が食べるから誰かが漁をしてくれた。同じだと友人は言いますが。私は、魚はできるだけ骨まで食べることにしています。貧乏だったためにもったいないから残さないのではなさそうです。漁師さんが殺生をしてとってくれた生き物は全部食べてあげたいからかも。農家が作ったお米も似ているような気がします。ザリガニなどを殺生し、日々苦労して作ってくれた大事なお米です。残すなど、病気のとき以外許されませんでした。

 学校でいちにの乱暴者だった私が殺生や虐めが嫌いになったのは、学校の教育方針、父兄、担任、友人、親などの強い影響があったのでしょう。1人で遊んでいるときにも影響を与えていたのでしょう。到底、先輩の厳しい指導ではありません。むしろ厳しい指導に反感を抱いていました。このため部活を続けられないだらしない男。ある事件をきっかけに辞めたと今まで思っています。でも、日々の反感の積み重ねで事件が起きて辞めたのだと今は思っています。生徒さんが退学するのも同じかもしれません。

 ついでに言えば、私は国語や作文が大嫌いでした。事実成績は悪かった。私は、天声人語や著名な新聞記事で国語の勉強をしました。文芸作品は余暇のためでした。でも、大学受験では、不思議と点数をとれました。超難関大の入試問題が私にあっていたのでしょう。それだけです。会社に入って、苦労して、人に売る記事の書き方は小説や新聞記事が適しているのかもとも思います。でも、会社の報告書や書類や説明書や取り説や企画書に不適だと思っています。こんなことを言うから、先生方に嫌われるのでしょう。

 先生方が多数参加しているブログ村の議論を読んでいたためか、柔な私はこれ以上書けません。三十六計逃げるに如かず、この話は此処までにします。

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