おはようございます。
さて、トリッキーな小論合格の手法を説明するのはまだ先のことです。その前に、基本から。まず記憶に関する私の感覚を聞いてください。私は子供の時から暗記は苦手でした。人の名前はなかなか覚えられません。年号も、地名も。だから社会は苦手。ロシア文学も。古文の文法も。数学の法則名もなかなか覚えられませんでした。でも、人の顔は良く覚えられます。会ったことがある人か、ない人かなど。風景もです。女性的な能力が優れていると友人から言われたこともあります。
私は高校生を教えてみて、記憶力は私よりはるかに優れていると思いました。ただし、応用力と言うものは押しなべてあまり感じられませんでした。こじつけのような悪口や腐しなら良く頭が回るものだと工業科の生徒さんから教えてもらいました。スポーツコースの生徒さんは反論は言いませんでしたが、心の中では反論など湧いていた人も多かったのかもしれません。ただし、彼らは口に出さない習慣があるせいか、黙っているだけでした。彼らの頭の中は工業科と変わらなかったのでしょうが、私の気持ちよさは全く違いました。会いたくもない人と、また会ってみたい人の違いになっています。もし会社だったら、成果や成長に直結してしまう違いがありました。
記憶力の良い人は人の言葉にできるだけ従った方が良いのかもしれません。応用力は劣っている人を、教育して応用力を伸ばそうと私はしていたようです。私は応用力に特徴があり、それが若い人の普遍的な能力だろう、年寄りは頭が固い奴が多い、校長も教頭も理事長も主任もです。そんな人にならないために、記憶力はもう伸ばさなくていいから、システムの要求や弱者の要求にこたえられる応用力を伸ばしてあげたいと思っていました。
今考えると、それが間違った考え方のように思えます。欠点である応用力欠如対策ではなく、長所である記憶力活用教育を小論でしてあげたら良かったのかもしれません。スポーツコースは勉強が苦手。記憶力だけで高校まで生きてきたように思える人が多かったように思えます。上手く行った人は記憶力をまず強化し、応用力の育成に進んだ人だったように思えてきました。週一の小論だけでできるように思えます。自習でもです。
今日はここまでにします。