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犬も歩けば棒にあたる

2011-01-30 19:12:50 | Weblog
こんばんは。

 中国の成語、走狗を書いたため、日本の犬のことわざも外せなくなりました。子供時代、お正月は凧揚げ、独楽回し、羽根つき、福笑い、いろはカルタ、百人一首でした。当代人気の流行いろはカルタより、普通のいろはカルタが好みでした。日本の犬のことわざなら、まず、犬も歩けば棒にあたる、です。

 いろはカルタは各地にバリエーションがありますが、大阪版と京都版と江戸版のいずれかを皆さん聞いているでしょう。私が遊んだのは、昭和の東京バージョンですので、各地のいろはカルタが混ざっていました。それでも「犬も歩けば棒にあたる」で始まっていました。江戸カルタはこの札から始まります。これが、北斎が選んだ犬棒カルタ、200年近くの歴史があります。犬棒カルタ以外あり得ないと江戸っ子は考えていました。京カルタのいは「一寸先は闇」。大阪カルタのいの札は「いやいや三杯、もう三杯」です。如何にも大阪的です。しかし、「石の上にも三年」をあげる大阪人の方が多いかも。「犬も歩けば棒にあたる」「一寸先は闇」だと言う人もいます。規格がないのが大阪人の個性です。

 「犬も歩けば棒にあたる」は不思議な言葉です。意味が分かりません。「犬が歩くだけで、棒にあたるような災難が降りかかる」、「知らずに不幸に遭遇する」なら、棒を不孝と捉えています。「何かをすると、知らないうちに幸運が廻ってくる」、「犬さえ歩き回っているだけで価値のある棒を見つけられる」と棒を幸運と解釈することもできます。棒を不運と考えるか、幸運と考えるかで意味が反対になります。

 北斎が犬のことわざを先頭に持ってきた理由も不思議です。犬は人類の一番身近な生き物でした。犬公方の生類哀れみの令があったように、四足殺生は忌み嫌われていました。川原や通りにたくさん野良犬が徘徊していたことでしょう。どんな犬だったのか、北斎は犬好きだったのか、など想像しただけで楽しくなりませんか。犬のたとえ話やことわざは100以上あります。「犬も朋輩」、「犬が星を守る」、「犬に知らすな」、「犬の糞尿経」、「犬死」、「犬も食わない」など、良い言葉はあまりありません。八犬伝は例外かも。

 北斎はカルタの「い」にいろいろ考えたでしょうが、犬棒を選んだ理由が分かりません。ここからは大胆な推論、私のシンセシスです。幸運か不運か分からない、反対の解釈が出来るのが狙いだったと私は考えています。語呂が良く、成否は分からない、しかもありがたそうな言葉の感触がありませんか。この感覚が江戸の知識人の誇りだったのかも。間違いないのは、いろはカルタの奥は深い、ことです。犬だけでも、まだ話を続けたいのですが、長くなりすぎます。今日はここまでにします。
コメント
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