今日の「 お気に入り 」は 、
歴史作家 関裕二さん の 「 スサノヲの正体 」から 。
備忘のため 、抜き書き 。前回の続き 。
引用はじめ 。
「 スサノヲは 、縄文的な神だ 。
その荒ぶる燃え上がるような魂は 、火焔型土器を彷彿している 。母を
思い出しては泣き止まず 、大音声を響かせて天上界に昇った 。暴れまわ
って神々や人びとに災いをもたらすその姿は 、大自然そのものだ 。嵐の
ように暴れ 、雷神のように恐ろしい 。縄文人が恐れ 、崇め 、祈ったの
は『 理不尽で容赦ないスサノヲのような神 』である 。
『 日本書紀 』編者も 、スサノヲが日本人の原始の信仰を継承していた
ことを知っていたのだろう 。中臣 ( 藤原 ) 鎌足や藤原不比等ら 、百済
系の渡来人 ( 拙著『 古代史の正体 』 新潮新書 ) の大陸的な人びとから
見れば 、スサノヲは疫病を振り撒く恐怖の悪神と思ったに違いない 。
しかも政敵の祖神だったから 、見下し 、『 邪 ( あ ) しき鬼 』と蔑んだ 。
たしかにスサノヲは荒々しい縄文の神だ 。しかしけっして野蛮ではない 。
むしろ 、知的でさえある 。たとえばスサノヲは 、『 森 』を重視した 。
『 日本書紀 』神代上第八段一書第五に 、スサノヲが最初新羅に舞い降り
た話が出てくる 、ただ『 ここには住みたくない 』といい放ち 、日本に
やってくる 。そして 、次の説話が続く 。
『 韓郷 ( からくに ) の島には金属の宝がある 。わが子の治める国に
浮宝 ( うくたから ) ( 船や建築に用いる木材 ) がなければ 、それは
良くないことだ 』
こう言って 、体毛を抜いて散らかすと 、スギ 、ヒノキ 、マキ ( 柀 ) 、
クスノキになったので 、それらの用途を定められた 。
『 スギとクスノキは船に 、ヒノキは宮殿の材木に 、柀は現世の墓の
棺にすればよい 。そして 、食糧となる多くの木の実の種は 、十分
播け 』
このようにおっしゃり 、五十猛神 ( いたけるのかみ ) ら三柱の子ら
は 、木の種をまかれた 。そこで 、三柱の神を紀伊国に渡らせ 、スサ
ノヲは熊成峰 ( くまなりのみね ) に住み 、さらに根国に入って行かれ
た ・・・ 。
ここにある熊成峰は紀国の熊野だろう ( 異説もあるが 、ここでは深入
りしない ) 。
さらに 、同段一書第四には 、スサノヲの子・五十猛神にまつわる別伝
が載る 。
五十猛神は多くの樹木の種を携えて舞い下り 、韓地 ( からくに ) に植
えず 、故国 ( 日本列島 ) に持ち帰り 、筑紫 ( 九州 ) から種を播き 、
大八洲国 ( 日本各地 ) を青山に変えようとなされた 。そのため五十猛神
を有功 ( いさおし ) の神と称賛するのである 。紀伊国に坐す神がこれだ
・・・ 。
一連の説話は 、スサノヲの縄文的な思想を今に伝えている 。
朝鮮半島や中国では 、早くから冶金が盛んに行われていた 。そのために 、
大量の燃料を必要とし 、森林は荒れ果てていた 。だからこそ 、日本の強
みは『 広大な森林と湿潤な気候 』と 、気づいていたのかもしれない 。
いや 、そうではなく 、スサノヲは 、文明に疑いを抱いていたのではな
かったか 。文明の暴走によって森が失われていく恐怖を 、スサノヲは
知ってしまったのではあるまいか 。 」
( 関裕二著 「 スサノヲの正体 」新潮社 刊 所収 )
引用おわり 。
文献史学と考古学の橋渡しをしてくれる本 。異論もあろうが面白い 。