「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

日本書紀 Long Good-bye 2023・08・28

2023-08-28 07:30:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、古代史の謎にメスを入れる

  歴史作家 関裕二さん の 「 スサノヲの正体 」から 。

  備忘のため 、抜き書き 。前回の続き 。

  引用はじめ 。

  「 持統天皇は件の歌の中で 、クーデターの決意を表明して

   いたのだ 。蘇我系日本海政権の象徴であるトヨの女神の

   白栲= 羽衣が天香具山に干してあり 、その衣を奪えば 、

   政権を転覆することができると言うのだ 。また 、その現

   場がなぜ天香具山なのかといえば 、神武天皇からはじま

   る『 日本海勢力の王 』が代々天香具山で『 東海勢力の

   ナガスネビコ 』を祀ってきたこと 、それが 、政権を維

   持するために必要だったからである 。その『 祀る権利 』

   を持統天皇と藤原不比等は奪った 。そこで住吉大神は

   畝傍山に場所を移し 、祭祀を継承したのだ 。ちなみに

   先述の畝傍山麓の畝火山口神社の神職は 、武内宿禰の

   末裔が務めている 。 」

  「 『 蘇我系トヨの政権 』は 、持統天皇の出現によって衰

   退し 、また 、藤原不比等は『 日本書紀 』を編纂し蘇我

   氏を悪役に仕立てることに成功した 。その過程で 、ヤ

   マト建国前後の歴史は闇に葬られてしまった 。

    その上で 、藤原不比等はヤマト政権の本当の太陽神だっ

   た三輪の大物主神 ( スサノヲやサルタヒコでもある ) を

   伊勢に追いやり 、さらに 、『 伊勢の神は女神天照大神

   ( 持統天皇 ) 』と 、説話の上ですり替えてしまったのだ

   ろう 。しかし 、王家は伊勢の神の正体を知っていたし 、

   藤原氏の論理で邪魔者扱いしてしまったから 、『 御先祖

   様に申し訳が立たない 』上に 、『 怒っていらっしゃる 』

   と伊勢には出向かなかったのだろう 。

   『 日本書紀 』は 、歴史改竄のカラクリを用意し 、ヤマト

   建国の歴史を四つに分解してしまった 。それが『 神話 』

   と『 神武東征 』と『 第十代祟神天皇 』と『 第十五代応神

   天皇 ( 神功皇后 ) 』で 、歴史の真相を解明できないように

   仕組んだのである 。その過程で 、ヤマト建国の最大の功労

   者であるスサノヲのモデルとなった人物も 、大物主神や

   住吉大神 ( 塩土老翁 ) や武内宿禰など 、数々の神や人物に

   分け 、どれが実物なのかわからないようにしてしまった 。 」

  「 逆に住吉大社は知恵を絞り 、『 住吉大社神代記 』を記し 、

   『 住吉大神と神功皇后は夫婦の秘め事をした 』と 、スキャ

   ンダルを自ら告白し 、その上で 、仲哀天皇を無視し 、住吉

   大神と神功皇后を並べて祀った 。さらに 、神武 ( 応神 ) 東征

   の故事にならって 、尾張 ( ナガスネビコ ) の恨みを鎮めるため

   の天香具山祭祀を今日に至るまで継承したのだろう 。

  「 スサノヲは弥生時代後期にタニハ ( 但馬 、丹波 、丹後 、若狭 ) に生

   まれ 、近江や東海に文物を流し発展を促し 、彼らをヤマト盆地に集結さ

   せることによって 、新たな時代を切り開こうとしたのだろう 。そして 、

   北部九州から朝鮮半島をつなぐ航路を獲得するために 、出雲に圧力をかけ 、

   出雲と吉備をヤマト政権に引きずり込み 、念願の北部九州進出を果たし

   た 。しかし 、ㇳヨ ( 神功皇后 ) が卑弥呼の宗女として日本海+近江勢

   力を中心にした『 北部九州の邪馬台国 』の女王に立ったことによって 、

   歯車が狂っていったのだ 。吉備と東海 ( 物部と尾張 ) は 、日本海勢力

   を追い落としてしまった 。ここに 、日本海勢力は恨みを抱き 、吉備と

   東海は 、これを祀ったが 、恐ろしい祟りがヤマトを襲った ( 疫病の蔓

   延 ) 。そこで 、南部九州に逼塞していた鬼の末裔をヤマトに招き寄せた

   が 、ここでも悲劇が起きた 。東海のナガスネビコが抵抗し 、殺され 、

   今度は『 恨む東海 』を 、天皇も一緒に祀ることになったわけだ 。

   物部と尾張は王家 ( 日本海勢力 = スサノヲの末裔 ) を恐れ 、祀り 、

   王家は尾張を恐れ 、祀るという二重構造が出現したのである 。

   時代が下り 、ヤマト建国の歴史とスサノヲの正体は抹殺されてしまった

   が 、住吉大社や出雲国造家に隠された秘密の中に 、スサノヲの謎を解く

   ヒントは 、隠されていたのである 。

    スサノヲは王家の祖であり 、ヤマトの太陽神であった 。そして 、この

   神の正体を抹殺することこそ 、『 日本書紀 』の大きなテーマのひとつ

   だったのである 。

    スサノヲという扇の要が理解できたことで 、多くの古代史の謎は 、芋

   づる式に解けていくはずだ 。 」

  ( 関裕二著 「 スサノヲの正体 」新潮社 刊 所収 )

 引用おわり 。

  戦後生まれで 、団塊世代の筆者は 、学校の歴史の授業で 、古代史のみならず 、

 明治大正昭和の近代史も 、肉声で教わった記憶がない 。が 、支障もなかった 。

  ちなみに 、関裕二さんの「 古代史の正体 」には 、こんな一節もある 。

 「 『 日本書紀 』 の神話部分は宇宙の混沌から始まり 、

   天孫降臨 、海幸山幸神話 、神武東征 、ヤマト建国

   までを描いているが 、考古学がヤマト建国のあらましを解

    き始めて 、ようやく神話の意味もわかってきたと思う 。

   注目すべきはヤマト建国に大きな意味を持っていた地域

   のほとんどを 、神話は無視しているという点だ 。タニハ 、

   近江 、尾張( 東海 )、吉備 、そして 、北部九州は

   ほとんど神話に登場しない 。神話の舞台は 、出雲と南

    部九州である 。しかし 、このうち実際にヤマト建国にかか

    わりを持っていたのは出雲だけだった 。つまり 、ほぼピンポ

    イントで 、神話はヤマト建国の要素を排除している 。これ

   は意図的だろうし 、歴史としてとらえるなら 『 日本書紀 』

   は非常に悪質である 。 」

 

 

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