「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

修二会 ( お水取り ) Long Good-bye 2023・08・24

2023-08-24 05:09:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 修二会 」の一節 。

  備忘の為 、抜き書き 。昨日の続き 。

   引用はじめ 。

 「 修二会に加わる僧 ( 練行衆 ) は 、十一人にきまっている 。

   その人名と役割が前年十二月十六日に発表されると 、結願の三

  月十五日朝までのあいだ 、一山は四百年を一昼夜に圧縮するほ

  どにいそがしい 。

   練行をしたところで 、いっさい金銭で償われることがないの

  である 。また寺としても 、他の寺社の行事のように 。参観料

  や入堂料などが入ることがない 。ついでながら 、東大寺がひと

  から金をとるのは大仏殿や三月堂などに入るときだけであり 、

  他は山内を自由に歩いていい 。

  『 東大寺は 、ダイブツがあるから 、十分利益があるじゃないか 』

  と 、他の社寺でいうひとがいる 。まことにそのとおりかもしれ

  ないが 、それらの収入は東大寺学園という中・高校の経営や東大

  寺図書館などの出費にもあてられている 。欲に呆けたような社寺

  などからくらべると 、当節 、東大寺の僧たちは上代の僧院のにお

  いをまずまずのこしているといえるのではないか 。この寺の僧の

  顔つきは 、いつも思うのだが 、世間の僧にくらべて数段いい 。

   それもダイブツに食わせてもらっているおかげだ 、という人も

  いる 。しかし人間の人相というものは食わせてもらえばよくなる

  というものではない 。天平以来の伝統がどこか生きているためで

  あり 、その伝統のしんというのは 、千数百年も修二会をくり

  かえしているというところにあるかと思える 。

 

   人間のくらしには 、『 文明 』と『 文化 』がかさなりあって

  いる 。『 文明 』は普遍的で便利でかつ合理的なものだが 、つ

  ねにそれに裏打ちされている『 文化 』は 、どの国あるいはど

  の集団でも不合理なものであり 、逆にいえば不合理でなければ

  『 文化 』ではありえないのではないか 。それに堪えて 、不断

  にくりかえすというところに 、他とちがった光が出てくるとも

  いえる 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 文化は不合理なものだ 、といったが 、この場合 、文化の定義

  は 、仮りに『 その集団を特色づける歴史的神聖慣習 』として

  おきたい 。

   そういう意味での東大寺における『 文化 』は 、修二会 ( お水

  取り ) によって決定的に代表されている 。 」

  引用おわり 。

 

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