「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

東大寺 お水取り Long Good-bye 2023・08・23

2023-08-23 05:19:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 修二会 ( しゅにえ ) 」の一節 。

   備忘の為 、抜き書き 。昨日の続き 。

   引用はじめ 。

  「 修二会は 、千年以上ものあいだ 、一年も休むことなく 、しかも

   前例と違うこともなく 、平版印刷機のように動作がくりかえされ

   てきている 。それも澱みの水のようにとりすました動作でなく 、

   この行法には気迫と 、鑽仰 ( さんぎょう ) への熱気が必要なの

   である 。それが 、百年一日どころか 、その十倍の歳月のあいだ 、

   つづけられている 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 どういう変動期にも 、深夜 、二月堂のせまい床の上を木沓で走り 、

   また跳ね板の上に自分の体を投げて五体投地をやり 、あるいは『 達

   陀 ( だつたん ) 』という語意不明のはげしい行法では堂内で松明を

   旋回させてまわりに火の粉をふらせるのである 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 『 しゅにえ 』

   という意味は 、わかりにくい 。修の呉音がシュであることはわかる 。

    二は『 二月 』の略に相違ない 、といわれている 。二月を修する 、

   ということである 。修は 、宗教的にそれを整え 、それを飾り 、そ

   れを直す 、という三つの精神的な動作をあわせたような意味として理

   解したい 。となると 、修二会とは『 二月を美しいものにする 』と

   いう意味である 。

    べつに 、正月を美しいものにする 、という法会は 、平安初期以来 、

   多くの寺々でおこなわれてきた 。その法会を『 修正会 』という 。

   『 修二会 』は 、その言葉と同意なものであるらしい 。中村元博士の

   『 仏教語大辞典 』の『 修二会 』の項では 、

     インドの年始はシナ・日本の二月に当たるので 、シナ流に一月に行

     なう修正会をインドに模して行なったものと伝えられている 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 様変わることが常の世の中にあって 、千年以上も変ることがないという

   ことが一つでもあったほうが ―― むしろそういうものがなければ ――

   この世に重心というものがなくなり 、ひとびとはわけもなく不安になる

   のではあるまいか 。

   『 海とか山とかと おなじようなものだと思うのだけど 』 」

   ( ´_ゝ`)

  「 人間が海や山を見たいと思うのは 、不動なものに接して安心をえたい

   からではないか 。自然だけでなく 、人事においても修二会のような不

   動の事象が継続していることは 、山河と同様 、この世には移ろわぬもの

   があるという安堵感を年ごとにたしかめるに相違ない 。

   『 様式 ( スタイル ) の新奇さだけを追うことが 、何になるのだろう 』 」

   引用おわり 。

   流行物は廃り物 ( はやりものはすたりもの ) 。

 

コメント
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