夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

イタリア旅行記 in フィレンツェ&ピサの斜塔

2020年02月18日 13時40分58秒 | イタリア🇮🇹旅行



この美しいフィレンツェの街は
15世紀の実質的な支配者として君臨した一族
メディチ家が造った。と言っても過言ではない
かも知れません。

メディチ家がしてきた、
4世紀以上に及ぶ美術品収集の歴史が
街の文化変遷と一体となって展開してきた
唯一の例となっています。

メディチ家の紋章

また三世紀にわたって、
銀行経営で得た莫大な財産をもとに、
ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ミケランジェロ、ヴァザーリなど多数の
芸術家のパトロンとなり、ルネサンスの文化を
育てる上で、大きな役割を果たしてきました。

この肖像画の
アンナ・マリア・ルイーザは
メディチ家直系で最後の女性です。
この彼女の遺言により、ウフィッツィ美術館の
コレクションという、メディチ家の栄華を
現代にまで伝えることが出来ました。


ヴェッキオ橋(古い橋)は
フィレンツェ最古の橋で、
ウフィッツィ美術館からは、この橋を越えて
アルノ川対岸のピッテイ宮殿まで
大回廊で繋がっています。


フィレンツェの街を散策します。


観光用の馬車も走っています。


シニョーリ広場に立つ
原寸大のダヴィデ像(レプリカ)


1世紀、ローマ時代に造られた
大理石のイニシシの複製の複製の
ブロンズ像。(ウフィッツィ美術館にもある)
撫でると幸運が訪れるという。


ドゥオーモ
正式名称は
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ花の聖母大聖堂」
完成に要した歳月は約600年。
このクーポラ(丸屋根)は聖堂に被せるように
建造されたそうです。


ドゥオーモ脇の「ジェットの鐘楼」
第1層~5層までを3人の建築担当者が
引き継いで完成させました。




礼拝堂の「天国の門」
ミケランジェロが称賛したという扉。

フィレンツェではそんなにお花が
見られませんでした。


街中のメリーゴーランド





ランチは中華料理でした。



でもね、お味はイマイチでした。
麻婆豆腐も酢豚(後で酢豚と分かる)も
唐揚げも何か変!
もどき味ね。
私が作った方がよっぽど美味しい!
(でもこれはあくまでも私の見解ですよ。)



この後は自由行動となり
私たちはオプショナルツアーで
ピサの斜塔に行きました。

到着して、バスの駐車場から
ピサの斜塔まで歩きですが、時間が押していたので
シャトルバスを貸し切ってくれました。
添乗員さん10ユーロ値切ったとか・・・・


城門を入るとそこには

ピサの斜塔が単体で建っていると
思っていましたが・・・・・・
こんなドゥオーモや礼拝堂があるなんて
思わなかったよ。

最上部までは
大理石のらせん階段を273段登ります。
一度に40人の入場制限があります。

11~13世紀頃に
もともと地盤の弱い場所に建設され
12世紀の建設中から、傾いていたという。

裏側から見た写真です。
高さは約58mあります。傾きは4度。


ドゥオーモの内部





ピサの斜塔を後にして
バスはトスカーナ地方の美しい田舎を走り
帰路につきました。








本当は畑の中に建つ
廃墟の農業小屋の写真を撮りたかったのですが
何度もシャッターチャンスを逃してしまいました。


ここには
テレビでみる「イタリアの小さな村の物語」が
存在している感じがしませんか?
トスカーナ地方いいですよね。
アメリカ人も憧れる田舎風景です。



夕食はホテルで・・・・

身の柔らかいお魚のフライ
この前にパスタが出ましたが
撮り忘れました。


今夜もこの「ウオールアート」ホテルに
泊まります。



ヤマト君が帰ってこない夜が
明けると


外は一面の銀世界。

ブルーベリーの花も
雪の玉と化しました。

寄せ植えもこの通りに

多肉植物も雪に埋もれました。



この寒空の下

ヤマト~く~ん!

今日も来てくださってありがとうございます。