今日は、小雨の中
父の三回忌法要を、菩提寺の
四国33番札所の高福山 雪蹊寺で
行いました。
雪蹊寺 の 御詠歌
「旅の道うえしも 今は高福寺
のちのたのしみ 有明の月」
雪蹊寺の名前の遍歴
高福寺 → 慶運寺 → 雪蹊寺
弘法大師が開創した当時は高福寺であったが、
鎌倉時代にこの寺を訪れた、運慶と長男が
薬師如来像と日光・月光菩薩像などを制作
したことから、慶運寺となったが
その後
長宗我部家の菩提寺として
長宗我部元親の法号から、寺名を
雪蹊寺とあらためました。
運慶の作品は、国の重要文化財となっています。
また
江戸時代初期
「南学発祥の道場」として、優れた儒学者を
生み出しています。
四国を17回遍路した
山本玄峰師は
失明に近い眼病ながら、裸足で7回目の遍路を
している時に、
明治以降に雪蹊寺を再興した、
太玄和尚に出会い、
「心眼を開け」
の一言で出家をし
静岡県三島市の
龍沢寺で
最後の、「行雲流水」の禅僧と呼ばれました。
※ 行雲流水・・・空を行く雲と、流れる水、すなわち
一点の執着なく、物に応じ、事に従って行動すること
当時
山本玄峰師の、導きを受けに
政財界の大物たちが、馳せ参じています。
太平洋戦争の終結に当たっての
内閣総理大臣鈴木貫太郎に
『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・・・』と
提言したことは
あまりにも有名です。
戦後は
吉田茂、池田勇人両内閣総理大臣なども
老師の助言を求めています。
わあ~情けなや~
わが菩提寺でありながら
こんな事、少しも知らなかった。
今日は、こんなに
勉強させてくれた、父に感謝しつつ
この後、
高知市内の「城西館」で
お食事をしました。
中庭の の牡丹の紫が
綺麗でした。
そして
お食事は・・・
これに
撮り忘れましたが、
煮物が何品か、とお吸い物とご飯と
梨のデザートでした。
と言うわけで
今日は、
朝のウオーキングもなし
畑仕事もなし
ガーデニングもなし
台風に備えて
家の周りに、出しっ放しに
していた道具類や、鉢植えなどを
屋内にしまいました。
だから体重測定もなし
ご飯類は口にしなかったけれど
ビールを4杯位飲んだかな~
これって
ご飯を4杯食べたと同じ?
ショック!!!
今日も来てくださって、ありがとうございます。
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