第38番札所金剛福寺から
西にむかい
ジョン万次郎資料館に行きました。
なかなか立派な建物です。
ここも2018年4月にリニューアルオープンしました。
幕末の日本に
世界を伝えた国際人
ジョン万次郎
1827年(文政10年)-1898年(明治31年)
ジョン万次郎こと中濱万次郎は今の
土佐清水市中浜で漁師の次男として
生まれました。14歳の時に漁に出て
遭難。無人島に漂着し、143日もの
過酷な日々を過ごした後、幸運にも
アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカ
本土上陸をはたします。
米国で学び、卒業後は船員をしていまし
たが、帰国を決意。カリフォルニアの金鉱で
得た資金で船を購入。帰国後は教授や
通訳として活躍。坂本龍馬や岩崎弥太郎、
勝海舟にも影響を与えた人物です。
ジョン万次郎の主な功績
★当時の先進的な技術や知識を伝える
英語や数学、航海術、測量術などを教え、
万次郎から学んだ者の多くが、後に維新の要人となる。
★名著「ボーディッチの航海書」を翻訳
日本初の外洋航海の専門書を翻訳。人材育成にも貢献した。
★日本初の英会話教本「英米対話捷径」を出版
日本初の英会話ガイドブックを発表。
「ABCの歌」も掲載。
★咸臨丸で日本人初の太平洋横断に成功
通訳として、勝海舟たちと乗船。
サンフランシスコに入港。
★小笠原諸島を日本の統治下に置く
住民全員の同意を取り付け、
日本の領土として統治する。
★ホートン事件で不可侵、平等の外交に尽力
外国人水夫の裁判に際し、
アメリカとの対等外交を目指す。
漁師仲間4人と遭難し、流れ着いた無人島の
鳥島(伊豆諸島最南端)では、雨水を飲み
アホウドリを捕まえて食料にしたが
雨水がなくなると、自分の小便を飲んだが
やがて小便も出なくなる飢餓におちいったが
アメリカの捕鯨船が
鳥島に立ち寄り、救出されます。
仲間はハワイ島に残りますが
ジョン万次郎だけが、
船長のウィリアム・H・ホイットフィールドの
養子となり、アメリカで教育を受けます。
この船長との出会いが
ジョン万次郎の人生に大きな影響を
与えたと言えます。
鯨を獲るぞ!
わ~い!逃げちゃった!
資料館から海を望む・・・・
歴史上あまり大舞台に
登場しませんが、陰で日本の近代化に
寄与したジョン万次郎です。
地元では
ジョン万次郎をNHKの大河ドラマの主役に・・・・・
と推す計画がありますが
あまりにもスケールが大きすぎて
難しいかも知れません。
でも無人島漂着や、アメリカでの生活、
捕鯨船での銛師としての活躍、
日本での幕末維新の活躍など・・・・・
波乱万丈な人生はドラマとして
面白いと思いますが・・・・・・
皆さんもぜひ訪れてくだちゃい。
今日も来てくださってありがとうございます。