9月27日の朝、試合のある娘達がお弁当を持って出かけた直後の
7時20分すぎ、病院に入院していた義祖母が95歳でなくなりました。
15年前、私が結婚して隣に住み始めたときには既に痴呆がはじまっていて
毎日会うたびに、「始めまして、嫁の○○です。」と声をかけていたのが
なつかしいです。
子どもの頃、祖父の死に直面して以来経験がなかったので
人生の一つの区切りを今回目の当たりし、
いろいろと考えさせられ、また勉強になりました。
私達家族は、娘達からみて曾祖母にあたるので
「大きいおばあちゃん」と呼んでいたのですが
大きいおばあちゃんが、娘達にも様々な感情を育んでくれました。
大きいおばあちゃんの介護を最後まで頑張った姑には本当に頭が下がります。
一つの死を迎えましたが、少しずつ少しずつ
命の点が姑から夫へ、夫から娘達へとつながっていることを
改めて実感することができました。
7時20分すぎ、病院に入院していた義祖母が95歳でなくなりました。
15年前、私が結婚して隣に住み始めたときには既に痴呆がはじまっていて
毎日会うたびに、「始めまして、嫁の○○です。」と声をかけていたのが
なつかしいです。
子どもの頃、祖父の死に直面して以来経験がなかったので
人生の一つの区切りを今回目の当たりし、
いろいろと考えさせられ、また勉強になりました。
私達家族は、娘達からみて曾祖母にあたるので
「大きいおばあちゃん」と呼んでいたのですが
大きいおばあちゃんが、娘達にも様々な感情を育んでくれました。
大きいおばあちゃんの介護を最後まで頑張った姑には本当に頭が下がります。
一つの死を迎えましたが、少しずつ少しずつ
命の点が姑から夫へ、夫から娘達へとつながっていることを
改めて実感することができました。
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