「ラッキー!」「ハッピー!」「オッケー!」

毎日「ついてる♪ついてる♪」って思うようにしています。みんなの一日も、ラッキーでハッピーな一日でありますように。

朝ごはん、ボイコットか?

2006-01-31 | 勇気づけ
こんばんは、サニーです。


勇気づけセミナーを受講してから、だいぶ

子供に対して見方が変わってきた感じです。


今日は次女が朝から、大変なかんしゃくをおこし、

随分ひなった泣き方をしていました。


そもそも、ちょっとしたことで、駄々をこね

朝ごはんを食べずにすねていたら、

他の家族3人が終わってしまって、一人ぼっちになってしまったんです。

それが、彼女の気持ちに輪をかけたらしく、

泣いていました。


でも、本人がどうしたいのか

自分から言って欲しかったので、私は黙って

家事をしてました。

泣き声はどんどん大きくなり、叫んでいます!


「あ~、これは完全に自分に気を引いて欲しい態度だな」と

気づいた私。こういう場合、以前のわたしなら

「もう~、どうしたいのよっ!」

「泣いてないで、さっさと食べなさい!」 とか

「食べなくてもいいよっ!」

など、など怒りにまかせて言っていたときも。


が、しか~し、今の私は違うもんね。

今日は、黙ってました。



自分のことを気にかけてほしい娘。

今度は泣きながら、洗面所にいる私のところまできて、

ばしっ、ばしっと2度ほど、たたいてきました。


そこで、一言。

「○○はどうしたいの?」

すると、

「ごはんを食べたいんだけど、一人はいやだ。ママにそばにいて欲しい」

なるほど。


「今すぐは、ママは無理だよ。顔洗っているからね。5分後でもよければ

座ってもいいよ。それでいい?」

「うん」

「じゃ、それまでは一人で食べなさい」

「はい」


5分後に私がいすに座るときには、大方食事は終わっていました。

そしてその5分間は、さっき大泣きしていたのが嘘のように

静かに食べていました。


われながら、びっくり。

そして、私が座ると子供もニコニコしてまったく違うことを話しかけて

ご機嫌な様子。


子供のペースに巻き込まれず、でも、子供の気持ちを聴いてあげたあとは

なんと、子供も私も爽やかな気分のことか!


てんやわんやの朝ごはんの日々ですが、子供なりに

主張したいことは、朝だろうが昼だろうがおかまいなしです。



今日はよかった、よかったの日、でした。

きもの大好き

2006-01-30 | きもののこと
こんにちは、サニーです。



昨日は1日中、ずっときもので過ごしていました。

私がきもの姿でいることに見慣れてしまっている人たちの中にいたので

どうってことないのですが、

問題は近所だったりします。


「あらっ、お着物?」

と、きものに丁寧語がくっついて、お着物になっちゃうんですね~。

お着物=晴れ着=イベント=どんなご用?

となるわけです。


「あらっ、お着物?」

とは、今日はどんなご用なの?という意味で、それに対する答えを

しないと相手の気持ちを損ねることになるわけです。

近所はみんな、年上だし。


ところが、私のきものはふだん着であって、

なんの、スペシャルなイベントもありません。

子供だって小さいから、正絹だから、汚すと困るっ!

なんて言っていられないのです。


でも、お着物と言ってくれた手前、

しかたがなく、

「はい、うふふ、へへへっ」と

なんだか、しまりのない返事で濁してしまいます。



実は私も自分できものを着るようになってから気がついたんです。

きものにも、ちゃんと晴れ着としゃれ着、そして普段着あること。


洋服だって同じ区別ができますよね。

晴れ着とはいわないけれど、パーティーやフォーマルシーンの服、

おしゃれをするときの服、

そして、普段きている、まったくの普段着。


ところが、いまや着物で過ごす人の方が少数だから、

着物=晴れ着=特別な日

としてしかみてくれないのかな~?


まったくの普段着

つまり、ジーンズにトレーナーみたいな組み合わせなんですけど。


ちなみに、昨日はリサイクルの紺の紬に

半巾帯、それに木綿の羽織です。

帯締め、帯揚げもしていないので、とっても気楽。

しかも、すご~く早く着られるのでらくちん。



でも、おしゃれ、とは程遠いですね。



しかしながら、そんな組み合わせでも

きものというだけで

おしゃれしていると見られるなんて、とってもラッキーなことかも


意外な動機で通い始めた、きものの着付け。

それから、1年過ぎました。



大好きです。きもので過ごすことができることに

とても、幸せな気持ちを感じてます。


最近になって、日本人でよかったなあと

思う日々。


これからも、自分が日本人であることを意識していく努力を

したいと思っています。





子供より自分がドキドキ

2006-01-29 | 自分
こんにちは、サニーです。


さっき、百人一首カルタ会から帰ってきました。

これは、子供が通っている教室が

毎年開いている会で、今回で4回目だったみたいです。


我が家は初参加で長女が挑戦したのですが、

問題はこのワタシでした。


勝ち抜き戦が2回ほど終了したとき、

一息ということか、

余興ということか。

こともあろうに、


「それでは、今度はお父さん、お母さんの番です!」

「ええっ!(ぎょぎょっ)」


はあ~、娘たちに見られるなんて。

普段、見守っているばかりのわたし。


見られる立場になるなんて、いや~な気分


だって、子供と違って

全然覚えていないんだもん。


上の句を読んでいる間に、下の句を探して取るんだよ。

な~んて、偉そうに言っていたわけですが、

そんな風に取れるわけありません


そんな姿を娘に見られつつ、四苦八苦の末

なんとか終わりました。


いやですね~。もう、やっている最中は

こともあろうに、心臓

ドキドキでした。


あ~、子供もやっている間は

こんな風にドキドキしながらも

一生懸命な気持ちなんだなあと

子供の立場を理解することになった

苦笑いの会となりました。



それぞれの成長

2006-01-28 | 勇気づけ
こんにちは、サニーです。


二人の子供達は、1歳からスイミングスクールに通っています〓

丈夫な子に育って欲しいのと、シャンプーを早く自分でできるようになって欲しいという思いからでした。


が、しかし通っているうちにそんな思いはどこへやら。

子供も親も欲が出てきます〓

気がついたら、長女は選手コースで週5日泳ぐ生活になっていました。


日々の成長はわずかなのですが、この数年間全体を振り返った時の私のショック!といったら。


「チェッ!」

と、舌うちしたくなるほどでした。


自分も新しい何かに挑戦したい。

子供達のようになにか目にみえるかたちの自信が欲しい

って思ったんです。



で、通い始めた

きものの着付け。

人生、誰が自分の背中をおしてくれるかわからないものです。


今、これをスクールで書いています。

今日は次女のテストの日。

久しぶりに見たら、しっかり成長しているではありませんかっ!


これからも私の日々精進する日は延々と続きそうです。

子供に勇気づけられた夜

2006-01-27 | 勇気づけ
こんにちは、サニーです。



昨晩長女が興味深いことを言いました。


「わたしね、すごいこと発見しちゃった」

「なに?」

「歌ってね、元気が出るんだよ」

「へ~」

「今日、音楽のときピアニカ吹いてて、わかったんだ」

「ふ~ん、どんな歌?」

「えっとね、こんなの。ふん、ふん、ふふふん、、、、」



「(えっ、  それ歌じゃないと思うけど)」



「それでね、さっきプールで泳いだ後疲れちゃって。サウナで

 歌ったんだ。そしたらね、やっぱり元気になったんだよ。すごいでしょ!」

「そうだね~。歌って元気をくれるんだね~」

    (注:長女はスイミングスクールに通っていて終わると採暖室に
       はいるのを楽しみにかよっているのです。)


なかなかいいところに気づくではありませんか。



でも、彼女の場合正確には

歌ではなく

鼻歌でしたが。




その後、久しぶりに寝る前から頭痛の喉の痛みがあった私。

それを理由に日課の絵本読みをことわると、

「じゃ、おねえちゃんが歌って元気にしてあげるっ!」

と言って

耳元で鼻歌を10曲ほど聞かされてしまいました。

そんなことしなくても、ハハは「おやすみ3秒」状態でしたが。


でもありがとう。


自分で何かに気づくって素敵だよね。


ということで、子供に勇気づける親が

子供に勇気づけられてしまった晩でした。



気持ちはうれしいけれど、耳元で鼻歌はもういいかな。

さっさと、直して今夜は本でも読まねば!

一に国語、二に国語の子供に育てるには

2006-01-26 | 勇気づけ
こんにちは、サニーです。



昨日、新聞を読んでいて

これは本当に大変な世の中になってしまった。

二人の子供を育てる親としてこれからどうしたらいいのだろうと

しばし考えさせられた記事を紹介したいと思います。


それは、ライブドア事件を語るということで、

藤原正彦氏(お茶の水女子大教授)が

情緒壊した市場原理主義というタイトルで

インタビューに答えていた紙面を読んでのことです。


藤原氏は今回の事件を市場原理主義の問題を危惧して、

それに対してとれる対策は、

「教育をきちんと立て直す外にない。」

と述べているのです。



教育

常に今の自分の関心の中心にある事柄で

ガツンときました。


どうして今回の事件と教育が関係するんだろう。




藤原氏は紙面で、市場原理主義とは

「規制をなくして人々に競争を強いるもの」

「人々を勝者と敗者に容赦なく分けてしまう」

「勝ち負けは五分五分ではなく、1割の勝者に対して9割が敗者」

と述べています。


また、これほどまでに市場原理主義に毒されてしまった理由は

「祖国に対する誇りと自信、国柄を失ったから」

「日本の過去や文化、伝統を全否定する教育が行われてきた」

「誠実、忍耐、工夫、努力といった日本人の美質に基づく日本式の経営、

そうした国柄を日本人は捨て始めている」

とも、述べています。


はあ~っ、


「こんな血も涙もない世界なのだから、子供を産むのをやめようと考え、

出生率がさがるのは当然だ」



でも、もう産んじゃいました。


産んでしまった以上、もう後戻りはできないので、

やるしかない。

ヒントはひとつだけ、

「読書をして叙情的な詩を読むとか、古典などの中から『もののあはれ』

を感じ取るしかない」



???


親の私が?なのですが、とにかく、

国語の教育を基本に考えていきたいと思います。


1に国語、2に国語



本音をひとつ。

子供をとりまく、生活の価値とか雰囲気と

成果主義に追いまくられている経済社会とのあまりの落差に

私のほうが疲れてしまうことがしばしば。






マジレンジャーから学ぶことその2

2006-01-25 | 家族
おはようございます、サニーです。



そういえば、3日前の日曜日のマジレンジャーの話はまだしていませんでした。


もうすぐ、最終回を迎えるし寂しい限りですが、今回も

ふむ、ふむ、とうなずきながら見てました


今回はね、わたしが一番印象に残ったのは、


「支えあっている」

「みんな繋がっているんだ!」

という言葉。


実は、このことを理解できるようになったのは、子供を産んでからなのです。

それまでは、

私は自分だけの力で頑張っている、と本当に思ってました。


勉強でいい点数とれたのは、自分が頑張ったから、

留学先(実は遊学だったが)で頑張れたのも、自分が頑張ったから、

社会人になって、それなりの報酬を得られたのも自分が頑張ったから、

と、自分中心で生きてきたんですね~

利口でもないのに、

ただ、鼻持ちならない女だったわけです。

そのかげには、かならず支えてくれていた人の存在があったからこその結果

だったのに



こうやって、それまでのことを書くとすごく恥ずかしい気持ち。

あ~あ、私ってホントすくいようがない。




でも、子供のすごいところは、

「どうやったって、私一人じゃ育てられない!」

と気づかせてくれたところ。


子供は宝、子はかすがい。

そうかもしれない。そんなこと、でも思えなかった。

私の場合、そんなことの前に


「ダメだあ。私一人では手に負えない」

と一種、あきらめさせてくれた存在。


で、どうしたかっていうと、当然周りの人の助けをかりたんです。

大変なとき、つらいとき、

やっぱり、周りの助けに情けを感じ

あ~、一人じゃなくってよかった、と思いました。


今まで、人に助けを求めることとかすごく苦手で、

うるさくって、デリカシーのない子供もすごく苦手だった私が

ふとしたことで産んでみたら

気がついたら、少し変わったかもしれないと自分で思ってます。


でも、いまだに子供は苦手なので、

自分のキャパ以上によその子供とかかわることは避けているかも。

2人も産んでいるのに、

他の人みたいに、よその赤ちゃん見て

「きゃ~、かわいい~! ちょっと抱っこさせてもらってもいい?」

なんて、言ったことないし。

確かに、ちょっとはかわいいとは思うけど、言葉にだして、

抱っこさせてとまで思えない私ってヘンだろうか?




でも、とりあえずは

家族や友達と繋がっていて

お互い助け合って生きていることを、子供を産んで気づいたことで

よしとして欲しい。




育児も家事もぶっとばせ!

2006-01-24 | 映画
こんにちは、サニーです。


午前中、THE有頂天ホテル見に行ってきました。

どんな風におもしろいのかなって思いながら見たんですけど、

わぁっ、はっ、はっ~

って笑う映画じゃなくって

私にとっては、くすっ、くすって感じでしたね。

とてもうまい構成で、ホテルを取り巻くいろんな人たちのストーリーが

同時に進行していくんだけど、ちっとも複雑じゃないし、

でも深みがあってみてよかったなあって思いました。


上映中、時計をみて、あとどのくらいかな?なんてついつい

見てしまうことがあるのですが、それもなく。

自分も大晦日の日はそれなりにバタバタとしていたけれど、

ストーリーの中のトラブルにもし巻き込まれたらきっと、

呆然となすすべもなく、解決できずに新年を迎えたかも


なんだか、素直に平凡なわが身にホッとしたりして。


いずれにせよ、映画もそして私にも無事

新年が迎えられよかった、よかった。


まだ、ひと月もたっていませんが、新年になったのが

随分前のような気がしてしまいます。

今日の残った時間は、なんだか軽~い気持ちで過ごしたいな。


思い切って、育児も家事もそして仕事すらもぶっとばせ!みたいなノリで

一日過ごしてみよう。

受けたセミナーでも、いい親はやめましょう、と習ったし!
             ・・

夕方から、時間を気にする日々の暮らし。

娘たちにもつい、

「急いで」

「早く」

とせかしがち。

そんなことしなくても、

大丈夫。きっと。




5時間も子供につきあわされた私

2006-01-23 | 勇気づけ
おはようございます、サニーです。



昨日はなんと、長女に5時間ほどつきあわされてしまいました。

ってなにを?


「人生ゲーム」  


最初家族全員でしたのですが、勝てなかったのがくやしかったのか

「もう一回!」


さすがに、4歳の妹には少しつきあうにはしんどいので

私と長女の二人でもいいのであればという条件付ではじめたんです。

ところが、何回やっても私に勝てない!

外に雪遊びにでかけた妹も帰ってこないから、さらに

もう一回! 

が、何度も何度も、、、。


気がついたら、夜です。

呆れるのに半分。

その集中力のすごさに驚きが半分。


子供って、大人と違ってそれほど理性が働かないので

とことん熱中できるんでしょうか?


で、何ゆえ5時間で終われたかって?

そりゃあ、もちろん、5時間後に私に勝てたからです。

よかった、よかった。

今後、親の期待する場面で集中力を発揮して欲しいと

願うばかりです。




安上がりな幸せ

2006-01-21 | 自分
こんばんは、サニーです。


いつもは日中書いているブログも週末+大雪騒動であっという間に今日が

終わってしまいそうです。


実はとうとう、ストーブの調子が昨夜おかしくなり、結局今日は雪の中

買いに行く羽目に

でも寒~い、一日を新しいストーブで過ごすことができてよかったかも

だって、昨日の夜はいくら換気していたとはいえ、最後には点火しない

ストーブの空気の悪さに気持ち悪くなってしまったんだから(オェッ)


新しいストーブを前に家族みんなが集まる。


「今度のいいね」

「優しい感じの暖まりかただね」

「そうだよね、強すぎなくっていいよね」


なんて、質素で素朴かと思うでしょうが、空気がなごんでいて

そんなことで幸せを感じてしまうことができる安上がりな私です。


実際、子供を育てるようになって随分幸せの基準が変わってしまいました。

それ以前は、消費すること浪費することで満足していたこと

多かったのですが、

今は、今日のように慎ましくなりました。




どっちが幸せの感じ方がより幸福なのかな~


どちらも両方味わえてよかったと

思うことにしています。