白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

CEIDのイベントに呼ばれました

2011-05-24 21:50:12 | 難聴・手話
昨日は平日だったけど、学校は先生の講習会かなんかで休み。

実はこの日、マー君はCEIDのイベントにお呼ばれ。
何かというと、寄付を募るイベントにCEIDの卒業生の例として出て欲しいというもの。

皆さんに、CEIDがどれだけ難聴の子供に必要なもので、CEIDで学んだ子供たちがどういう風に成長し成功していっているかを訴えるのが目的。

こういうイベントに呼ばれるということは、マー君は成功例なのだろう。

それともう一つ日本語も話すバイリンガルというところも重要ならしい。
園長先生に日本語も披露してほしいと頼まれた。

聾や難聴の子供に2ヶ国語以上教えることに、たくさんの人は戸惑いを持っている。
一つの言語すら遅れがちな難聴の子供に、幾つもの言葉で話しかけるのは余計に混乱させるのではないかと、誰でも思う。
そして、確かなデータがあるわけでもないのに、一つの言語(英語)に絞るようアドバイスする専門家も多い。

しかし移民が多いサンフランシスコベイエリアでは、親の母語が英語でないケースがよくある。
そんな時、親は一体どうしたらいいのか?っとCEIDの先生に泣きついてくる。

CEIDの先生方は、「心配要りません。子供が言葉を学ぶ能力は大人には想像もつかないものがあります。あなたの言葉で話しかけるのが一番。どんどんあなたの言葉で話しかけてあげてください。」とアドバイスする。

私もその一例だった。
耳の検査をした専門家は、「英語に絞るべきだ。」と言っていた。
でも、私にとって英語は外国語で、子供に英語でなんて話しかけたくない。
はなっから無視していたけど、CEIDで「どんどん日本語で話しかけていいですよ。」といわれたときはすごく嬉しかった。

親が日本語で話しかけても、英語が遅れることはなく、日本語も上手に話すマー君は最高の例になる。
今不安を抱えている難聴の乳幼児の親たちも、マー君の姿を見たら励みになるだろう。

私も、もし今のマー君の姿をあの時垣間見ることができれば、あんなに悲しい思いをせずにすんだのにと思う。



イベントにお呼ばれしたのは、マー君ともう一人黒人の男の子。

高級ゴルフクラブハウスでのイベント、
高級ホテルのような会場で、これまた高級な食事。

私は「タダ飯、タダ飯。」と喜んで、しっかりご馳走を頂きました。
いやいや、タダ飯食って食い逃げではありませんよ~。
私もステージに上がって、日本語披露のお手伝い。

日本語の披露の仕方は、先生が私への質問を考え、それをこっそり英語でマー君に言って、
それをマー君が日本語で私に聞くというもの。

ただ・・・、先生が何を聴いても恥ずかしがってマー君何も言わない。
じゃぁ、これは?
あれは?
っと先生が質問を変えても、「わからない。」っと答えない。


だめじゃん、バイリンガルの例として出されているのに、わからないじゃ!!!

最後には私が日本語でマー君に質問したりして、どうにかマー君の口から日本語を引き出すことができたものの、初めの予定は完全にくるってしまいました。

帰りにマー君にきいてみる。
「ねぇ、先生の質問は何だったの?」

「えっとねぇ、ママの誕生日は何?とかママの好きな色は何?とかそんな質問。」

日本語で答えるマー君。
そんな超簡単じゃない。
なんでステージではわかんないって言ったの?
人前で話すのが恥ずかしかったらしい。

思いっきり失敗だったけど、先生は「すばらしかったわ~ありがとう。」
っと言ってくれて・・・あ~いい先生だ。

ただ飯食わせてもらったのに、申し訳ないです。