神道の極意
こんなタイトルを付けたからといって、私は右翼でも保守でもありません。
出身は「八重の桜」の大学ですからリベラルかつ左翼的な考え方も持ってます。
ここ3日間NHKアーカイブスでは伊勢神宮、春日大社、明治神宮が放送されました。
3日目の昨日は「代々木の杜(もり)の物語」すなわち明治神宮奇跡の森といわれるものでした。
明治神宮の森は昔からあのように鬱蒼としていたように思えます。しかし、あれは大正時代に造られた人工の森だそうです。しかも造成当初から100年後の植生の遷移を想定して色々な樹種を植えて造ったというから驚きです。そして森は立ち入り禁止、自然に任せて今のような森になったそうです。参道の落ち葉も森の中に掃き込むだけ。それが自然に任せるということ。伊勢神宮外宮で見たような薄い竹箒を使ってましたよ。
また明治神宮の宮司さんの言葉で
神道には中今(なかいま)の思想があると言われました。
仏教やキリスト教では「来世や天国」のように死後の世界でどのように生まれ変わるかを目的にしていますが、神道は現在を大切にする。今の一瞬を懸命に生きることが過去から未来につながっていくこと。だそうです。なるほど生きていく指針としては神道の方が理にかなっていると思います。
2日目の春日大社も20年ごとの式年造替(ぞうたい)というお社の造り替えがあるそうです。伊勢神宮どうよう人や技術の伝授にはそのくらいの年月が適当なのでしょう。天平・奈良時代頃から連綿と続けられてきた日本人の英知ですね。春日大社は藤原氏の氏神ということで舐めてました。
また春日大社では三笠山の原始林が枯れたりすると神の怒り、神意があったとして怖れ敬い、お払いやお祀りをして神意を鎮めるのだそうです。天変地異が多い日本の自然を神意ととらえた感性には感心します。
PS
昨日のニュースで人名漢字に巫女さんの「巫」の字が使えるようになったそうです。たまたまでしょうけど、タイムリーな話題でした。
こんなタイトルを付けたからといって、私は右翼でも保守でもありません。
出身は「八重の桜」の大学ですからリベラルかつ左翼的な考え方も持ってます。
ここ3日間NHKアーカイブスでは伊勢神宮、春日大社、明治神宮が放送されました。
3日目の昨日は「代々木の杜(もり)の物語」すなわち明治神宮奇跡の森といわれるものでした。
明治神宮の森は昔からあのように鬱蒼としていたように思えます。しかし、あれは大正時代に造られた人工の森だそうです。しかも造成当初から100年後の植生の遷移を想定して色々な樹種を植えて造ったというから驚きです。そして森は立ち入り禁止、自然に任せて今のような森になったそうです。参道の落ち葉も森の中に掃き込むだけ。それが自然に任せるということ。伊勢神宮外宮で見たような薄い竹箒を使ってましたよ。
また明治神宮の宮司さんの言葉で
神道には中今(なかいま)の思想があると言われました。
仏教やキリスト教では「来世や天国」のように死後の世界でどのように生まれ変わるかを目的にしていますが、神道は現在を大切にする。今の一瞬を懸命に生きることが過去から未来につながっていくこと。だそうです。なるほど生きていく指針としては神道の方が理にかなっていると思います。
2日目の春日大社も20年ごとの式年造替(ぞうたい)というお社の造り替えがあるそうです。伊勢神宮どうよう人や技術の伝授にはそのくらいの年月が適当なのでしょう。天平・奈良時代頃から連綿と続けられてきた日本人の英知ですね。春日大社は藤原氏の氏神ということで舐めてました。
また春日大社では三笠山の原始林が枯れたりすると神の怒り、神意があったとして怖れ敬い、お払いやお祀りをして神意を鎮めるのだそうです。天変地異が多い日本の自然を神意ととらえた感性には感心します。
PS
昨日のニュースで人名漢字に巫女さんの「巫」の字が使えるようになったそうです。たまたまでしょうけど、タイムリーな話題でした。
驚きました。
しかしあれは杉・桧などの単一林なので林相が貧弱で生物多様性に反しています。さらに大切な保水力は乏しく、間伐もせずに放置されてる山は水害の遠因になっています。
その点、遷移の最終段階である陰樹・広葉樹の森は保水力も高いので自然が豊かになります。明治神宮の森を造る際に時の宰相・大隈重信は日光の杉並木のような杉林を要望したそうです。
しかし造林責任者は当時、松だけが生える荒れ地に杉だけでは神宮の森は造れないと根気よく説得したそうです。大正時代にそういう合理的な発想をされたことが驚きです。
人工林のひとつに里山があります。里山は人の手が入り続ける森で、明治神宮の森とは対照的です。
番組のなかで明治神宮は全国の神社の後継者の研修を引き受けていることが紹介されていました。
そのなかで神職は「神がかりになってはいけない。神職はあくまで神様との間に入る存在だから」と教えていました。
日本は八百万の神がいて山や岩などがご神体になっていますから、そこに神社という装置を備えて怖れたり律したりするよすがにしています。ですから宗教というより大胆に現代に置き換えるとコンプライアンスに近いかもしれません。