峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

大河館ドラマ館のあと(川原町界隈)

2020年03月19日 | 歴史
大河館のあと、歴史散歩のつづきです。

道三・信長の城下町から長良川沿いの川原町界隈に進みます。



最も川沿いにある旧いとう旅館あたりでは昭和31年頃映画のロケがあったそうです。当時のポスターをボランティアガイドさんが見せてくださいました。有馬稲子、上原健、沢村貞子、加東大助、高峰三枝子は知ってますが、『白い魔魚』なんて映画は見たことがありません。



そして『薄れゆく記憶のなかで』なんて映画もロケされたそうです。朝ドラ『ふたりっ子』の菊池麻衣子さんしかわかりませんが。



次に庚申堂です。峠漁りをしてますと、『庚申さま』がちょいちょい現れます。今まで民間信仰の類ぐらいにしか思っていませんでしたが、ガイドさんによると、何やら怖い話のようです。

庚申(かのえさる、こうきんのさる、こうしん)とは、干支の一つで、庚申の夜に人の体内にいる三尸 (さんし) の虫が,その体内を抜け出して天帝(閻魔さま)にその人の罪過を告げると信じられ,これを防ぐため道士たちは不眠の行を行なったそうです。

そんな庚申堂の前にある雨水鉢がハートマークとして最近人気になっているそうです。



次は十六銀行川原町出張所(ATM)です。一般の民家を改造し、格子戸と蔵風にしてあります。



出張所の壁にあった看板と当時の頭取・桑原善吉氏の邸宅玄関に貼ってあるお札です。
この「十二月十二日」とは泥棒除けです。石川五右衛門が釜茹での刑に処せられた日から来ています。

この看板にある富茂登出張所は材木町支店と名前を変えたそうですが、その材木町支店はその後もっと南に移転しました。その材木町支店も今は廃店されてATMしか残っていません。もともとの町屋風の建物は残っているのにコンクリート造りの営業店はとっくの昔に廃店。栄枯盛衰の悲哀を感じます。



次に長良橋南詰め東側にある川端康成文学碑と松尾芭蕉の句碑です。
川端康成文学碑は川端康成が伊藤初代との逢瀬を長良河畔で過ごしたことを題材にした小説です。
芭蕉の句碑は有名な『おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな』です。



鵜飼いの句といえば『このあたり 目に見ゆるものは 皆涼し』もあります。招かれた水楼から見る景色の素晴らしさに芭蕉は中国の瀟湘八景や西湖十景にも劣らないとして「十八楼」と命名したそうです。その名を受け継いだホテル十八楼・四季の蔵前には芭蕉の像が立ててあります。



その後、岐阜公園に戻り、岐阜城発掘調査跡を見たりして会は終わりました。

地元で知ってることも多かったですが、ガイドさんに解説してもらうと目からウロコのこともあり、ナカナカ楽しい企画でした。

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コメント (2)
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